迷馬の隠れ家 はてな本館

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“腸捻転ネット”って何?

しばしば、このBlogでも説明している話だが、今後ABCとMBSの話をやる時に必ずといっていい位、出てくる“キーワード”がある。そのひとつが“腸捻転ネット”といわれる現象である。ま、“2ちゃんねる”の懐かしテレビ板にもスレッドがある位有名な話なんだが、この現象を語る時に知っとかないといけない部分がある。実は…現在のABCの社屋は、かつてOTV大阪テレビ放送の“社屋”だったって事。つまり、その当時からあるモンだから、関西の放送局で社屋の“建替え”が終わってないのがABCだったりするのである。じゃ、なんでそうなったのか、ちょっと“参考資料”といってはなんだが、ABC50年史とMBS50年史(関西の各府県立図書館で閲覧可能)からポイントを押さえて説明させてもらう。(OTV開局話は、“われラジ”まとめサイト第4章参照)

以前“My favorite announcer” vol.15(道上アナの話)でもちょっと書いたが、事の発端はNJB新日本放送(現在のMBS)とABCが“呉越同舟”で作ったTV局、OTVの開局まで遡る。(ここいらヘンの話は、まとめサイト参照)ココが東京のTV局と放送ネット提携を結ぶ際に、双方がラジオ局としてネット提携(JRNネット加入)を結んでいた関係もあって、開局時にJNN(TBS系のニュースネットワーク)に加入していた。そもそもJNN系は毎日新聞社系の放送局(というより、開局の古い放送局)のニュースネットワークであり、報道番組以外での部分では、かなり個性派な番組のオンパレードな部分があった。また、全国ネット番組の比率も低く、地方局でも“主役”になれるチャンスがいっぱいあった。だからこそ、毎日新聞社系のNJBと朝日新聞社系のABCは、お互いの将来性を考え“呉越同舟”していた部分があった。
しかし、もともと親会社である新聞社が違う放送局が“ひとつ”になるという事は“至難の業”(思想や報道姿勢の違い等の都合)であり、開局時はともかく、月日が経つに連れて局内での軋轢が激化してきた訳である。そしてついに決定的な出来事が、NJB側から起こる訳である。そう、“準教育TV局(教育番組の制作もするTV局。条件として、その比率はコンテンツ全体の20%以上となっていた。現在は“廃止”された制度だが…)”としてのTV放送予備免許の、取得準備をすると言い出したのである。当然ABCも黙っちゃいない。すぐさま自分トコも独自路線のTV放送予備免許を取得し、OTVを“解散”させると言い出したのである。こうなるとかわいそうなのが、OTVのプロパー(正規)社員で、双方の放送局からの派遣社員は“帰る場所”があっても、彼等には存在しない訳であり、“清算”となると自動的に“解雇”という事になる。そんな危機的状況下を救ったのが、阪急電鉄の創設者、小林一三(こばやしいちぞう:かつて阪急ホールディングス内では、“逸翁”と称して崇められていた)である。当時のABCとNJB双方の社長を呼び出し、こう提案したのである。
『クジ引きで“当たり”が出た社長の局が新規にTV放送免許を取得し、敗れた社長の局にはOTV社員を迎え入れたらどうだろう…』
この言葉に双方が同意し、ジャンケンでクジを引く順番を決めて、先にNJBの社長が“当たり”を引いた…らしい。(一説には、この“ジャンケン”で決まったともw)こうして、NJBが改めてTV放送免許を取得し、その際に現在のMBSへ名称を変更したのである。そして“社長のクジ運が悪かった”ABCは、残されたOTV社員を受け入れ、社屋も朝日新聞社の片隅からOTV社屋に“引っ越し”たのである。
しかし困った事に、OTVから離れたMBSJNNから“脱退”し、当時開局したてのNET日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)とネット提携を結ばざる得ない(ANN系へ加入する)状況となった。そもそもココはQF文化放送朝日新聞社の“合弁会社”で、資本の都合で殆どの番組をMBSが“自社制作”せざる得なかった。逆に、ABCにとってはOTVスタッフがいる関係で、TBSとは“意気投合”していろんな番組を共同で制作しまくった訳である。その関係で、今でもTBS幹部にはABC社員に“甘い”ともいわれている。(ラジオでのネット提携が残ってるんで、ABCとはよくツルむw)
しかし、当時の政府(田中角栄内閣)は、この関係をあまり“イイ感じ”には見てなかった。当然の話である。本来の“新聞社毎によるTVネット形態”が、この“ゴタゴタ”のせいで狂った状態な訳である。そこで、本来“あるべき姿”にする為に、ABC・MBS・NET・TBSの各放送局に“ネットチェンジ”を呼びかけたのである。こうしてABCはANN系列に、MBSJNN系列にそれぞれ移行したのである。また、コレを機にNETは“テレビ朝日”(この当時は“全国朝日放送”)と改名したのである。
しかし、ココでも“ゴタゴタ”が起きたのである。双方が今までの方針と違うモンだから、ABCはテレビ朝日からのネット番組の一部をカットし、空いた時間を自社制作の情報番組に作り替えたのである。コレが現在も放送されている“おはよう朝日です”の起源であり、番組によっては放送時間を変更したり、強引に全国ネット番組の“飛び乗り&飛び降り”(番組の途中で切り換える事)をカマすようになった。また、MBSも最近ではTBSの制作番組は“視聴率が悪い”とあって、平日午後は“ちちんぷいぷい”と“voice"で時間稼ぎをする始末である。また土曜日も双方が自社番組で勝負する程、実は東京キー局を“喰って”たりする。(ま、もともと東京の放送局より歴史が古いモンだから、変な部分で“プライド”が高いというか…w)