迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

意外と知らない関西“鉄道”のトリビア

あなたは“阪急”は何の略かご存知?実は、コレには、阪急電鉄阪神電鉄にまつわる、ちょっとした“因縁話”があって、地元関西人(特に両社の鉄道を利用する北摂人)が、双方を混同しない為に言い始めたのがきっかけとなってる様です。
そもそも、かつての“阪急”の正式名称は“京阪神急行電気鉄道”と言って、その社章も大阪市・神戸市・京都市の市章を組み合わせたのが使われてました。(確か現在でも、うめだ阪急百貨店の“エンブレム”がコレだったと思う。)つまり、コレを略して“阪急”となった訳です。
今回はそういった話を、(殆ど阪急電鉄中心だが…)やっていこうと思う。

あなたは、京都〜新大阪の新幹線の車窓から、並走する阪急6300系(阪急京都線の特急車両、ちなみに“●300系”は京都・千里線専用車両)の“全力疾走”を見た事がありますか?実はその昔、東海道新幹線開設工事の際、阪急京都線も高架工事を行ない、同じレール幅を採用していた事もあって、その走行テスト路線として使用した頃の“名残”です。そのため、現在でも上牧〜大山崎では、新幹線を横目に電車待ちができますw(水無瀬駅大阪側ホームは、モロ新幹線の線路と背中合わせなんで、よく700系のぞみの風圧を“体感”できます…かなり危険ですがw)
その昔、南海電鉄の車両が紀勢線を走ってたなんて信じられますか?コレは現在でも、その“名残”をJR和歌山駅南海本線和歌山市駅で見る事ができます。昔はこの区間経由で、実際に難波から南紀白浜まで直通列車を走らせてました。(現在では直通列車は廃止したんだが…)
伊勢湾台風で甚大な被害を受けた近鉄は、1年近く“復旧”しなかったのは、主要幹線区間(奈良線大阪線・賢島線・名古屋線)のレール規格を変更し、新幹線と同じモノにした為である。実は、この当時の経営者であった佐伯勇(この人は、阪急の“逸翁”とならんで、関西の“鉄道王”として名高い方でした。)が命じて、台風で被害に遭ったのを規格変換の“チャンス”に変えて、全部の規格をやり換えたんだそうな。ただ、被害が軽微だった南大阪線や山深くてレール幅の変更が無理だった吉野線等は、現在でもJR在来線や南海電鉄と同じ規格で、大阪市交通局の中央線に乗り入れてるけいはんな線はそっちの規格、現在は第三セクターに委譲した北勢線ナローゲージ(760mm幅)と、バラエティーに富んだ路線図になったのは、いうまでもない。ちなみに、関西の鉄道会社で車両を“自社生産”できるのは近鉄だけで、関連会社の近畿車両ではかつて、100系新幹線(2階建てのアレ)の車両も作ってました。(現在でも“MAX”の車両がそうだった様な…。)
スルッとKANSAI"の基礎となっている“ストアーバリューライド(プリペイドカードによる乗車サービス)システム”は、もともと阪急電鉄の“ラガールスルー”が元祖。しかも“残高10円”でも乗車できる様にしたのは、乗客の利便性を考えて、国交省に“特例”(降車時に清算して、不足分をそこで払う)を認めさせてるからである。実は“パスネット”はそれを真似て作ったんだが、“特例”を認めてもらえなかったんで、(関西人には)使い勝手が悪いのだ。(あの便利さは、使えばわかるw)
他にもいろいろあるんだけど、今回はココまで。