迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

夢をなくすと、人生は虚しい。

とうとう逮捕されちゃいましたね、村上さん。逮捕前の会見で、“夢なんてない”と言っていた様だが、逆をいうと“夢を見るヒマさえない”状況で今までを生きてたのだと思う。子供の時から“夢がない”なんて言うのはおかしい話で、普通の子供なら実現しそうにない夢のひとつは、想像するモンである。それを現実に変えるか否かは、本人の努力次第であって、その為の“資金”として巨満の富を得る必要性があるなら、ある程度は理解できる。しかし、その“お金集め”が主なる目的で、それ以外を否定する考えは、ハッキリ言って低所得層に恨まれて当然の話である。
以前、生田教室の話で説明した通り、自分の“夢”を実現する為の手段として専門分野のカルチャースクールに通ったり、有名大学を狙うのもひとつの選択肢だが、“どんな風になりたいか”というイメージをしっかり持っていないと、結局儚いだけである。

誰だって、自分にとっての“理想”というモンを描いて、日々生活をしてるんであって、夢も希望もないなら、生きていても虚しいだけだ。何でビンボー生活してる人々が、屈託のない“明るい笑顔”をしてるのか?それは、金銭的な豊かさはないが、その分だけ“夢を描く”贅沢な時間とゆとりがあるからだ。例えば、余った布切れを縫い合わせて、パッチワークでショルダーバッグを作ってみたり、絹糸や刺繍糸を巧みに編み込んで帯留めの組紐にしてみたり、余った折り紙を組み合わせて貼り絵を描いたり、食べきれなかった果物を蜂蜜と一緒に煮詰めてジャムにしたり…とにかくそこには“ムダ”がない。そして、そういった技術は大いなる“財産”である。しかし、金銭感覚がおかしくなると、そういった行動そのものが“ムダ”に見えてしまうから恐ろしい。
“そらいろのたね”という絵本を読んだ事ある人ならわかるが、村上ファンド阪神電鉄にやった行為は、手順や程度の違いはあれど、この物語のキツネ君と同じである。(読んだ事のない人は、図書館の児童文学コーナーの絵本の棚で探してちょ。おそらく小学校時代に、一度は読んだ事があるハズ…)つまり、目的そのものが“行き当たりばったり”なモンだから、結局我侭を言って多くの人々に迷惑をかけた。その“天罰”が下ったのであって、星野仙一シニアディレクターが言ったのではない。(確かに、“天罰が下るだろう”とは言ったが、村上氏本人の、あまりにも傍若無人な態度に“呆れて”言ったまでに過ぎん。)
夢を追いかけて、他人に迷惑をかける事はあっても、それは多くの人々も同じだから、どっかで“黙認”しあってる部分がある。しかし、“自分の思い通りにならない”からといって、みんなの“財産”を奪ったり潰す様な行為は、絶対やってはいけない。その“お咎め”は、最終的には多くの人を苦しめる“一凶”として、自分にのしかかってくる。忘れてはいけないのは、自分もまた“人間”であるという自覚であり、“夢”を持たないなら一切の行為から手を引く事である。自分の“理想”を現実に変えたいから“闘う”のであって、“自分は悪くない”と責任逃れをしようモノなら、その“大罪”をもって排除されるだけである。
誰かの“痛み”を知る事によって、初めて自分の“愚かさ”に気付くモンである。それがわからないなら、あらゆる分野から学ぶべきであり、その為に“ビンボー”になっても構わないのである。そういう人のもとに、“本物”は世界中から集まるのである。