迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

近頃の社長って…

オイラの勤務先のエレベーターは、数年前からおかしかった。例えば昇降ボタンを押しても作動しなかったり、指定した階まで動かず5分以上閉じ込められたり、緊急ボタンを押しても反応がなかったり…。
で、そこのエレベーター会社のメンテナンスに不満を持った所長が、保守点検を別のメンテナンス会社に委託したら、信じられない様な欠陥箇所がわんさかで、部品交換と仕様変更の為に2ヶ月以上、貨物用と乗用エレベーターの“使用禁止令”が、本社から下った。ま、この勤務先はもうすぐ“閉鎖”なんで、その間事故らなければ良いんだが…。

最近、何か“勘違い”してる会社経営者が多い様な気がする。このエレベーター会社の社長にしても、謝罪と再発防止策の提示が先なのに、何か自社ブランドの売り込みに専念し過ぎて、エレベーターには付き物の“利用者の安全”に対する配慮がない。これじゃ、こないだの死亡事故が再びどこかで発生してもおかしくないだけでなく、そこを“信頼”して採用してくれたマンションや公団に多大な迷惑をかける。それだけでなく、そこを利用する住民や作業員に対して“背任行為”を行なったのと同じである。
そんなに“自分だけ”勝ち残りたいのなら、最初から誰もやらない分野の研究や技術をやれば良い訳であって、他の同業者と覇を競いたいのなら、まずは利益追求より相手から認めてもらえる営業努力をやるべきである。それが商売の基本であって、利益や規模拡大はあくまで“オマケ”程度にしてないと火傷するのがオチである。
現に、村上ファンドライブドアは、当初の目的が“純粋な企業経営”から道を外れ、欲望のままに金銭感覚が狂うマネーゲームに没頭したが為に没落するのであり、かつての田中角栄も欲ボケを出した(ロッキード事件)が為に政権を追われたのである。また、堤義朗も自分のバック(後ろ盾)がデカいのをいい気にムチャクチャなことやるモンだから、西武鉄道に迷惑をかけたのはいうまでもなく、ナベツネプロ野球での横暴なルール改訂を繰り返すからジャイアンツからファンが愛想を尽かして去っていくのである。(←コレは別枠やな…)
つまり、本当に“愛されたい”と思うなら、“相手”の気持ちも考えて行動しないと、たくさんの人々…直接は関係なくてもどっかで繋がってる他人…に多大な迷惑をかけ、信用をなくすだけである。また、せっかくの信頼関係も、こっちが横柄になり過ぎたり、向こうがエエ気になり過ぎると、どんなに長い付き合いでも、一瞬にして消し去ってしまうモンである。
学会員が勤行・唱題を続けるのは、法華経を守護する諸天善神(しょてんぜんじん:森羅万象の神々)に対して“法華経の行者”としての責務を果たす行為(感謝と謝罪)であり、その延長上である折伏弘教の行動(新聞啓蒙や各種会合・イベントの開催等)によって生じる“福運”は、諸天善神が釈尊に交わした“約束”(法華経の行者を守る事)を果たす義務である。この時点でお互いの“信頼関係”は同等であり、どちらが“偉い”なんて言えたモンじゃない。そういうのを、単なる宗派の権威や地位だけで尊卑を言いたがる輩は、例えその教義が正しくても、誰も“幸せ”にする事はできない。そこに、キリスト教イスラム教等の争いの“元凶”があり、若者が宗教を軽んずる部分を生み出している。故に、生きていく上での希望が持てなく、現状の快楽のみを求め、迷うのである。その結果が“ニート”を生んでる訳である。
誰だって“幸せ”にはなりたい。でも、自分一人だけの“幸福”は本物の“喜び”とは言えない。それがわかってるからこそ、若い子は宗教哲学を学ぶ必要性がある。しかし、そういった活動を“カルト”と片付けるのなら、それは若い子達の“生きる喜び”を奪ったのと同じである。誰とでも分かち合える喜びは、本当の意味での“幸福”であり、その逆は、心が荒み“生きる価値が見当たらない”から廃れるのである。