迷馬の隠れ家 はてな本館

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悪口なんて、言われてナンボ

悪口とは違うが、先週あたりかのスポーツ紙で、解説者がダメ猫阪神ファンの応援について“文句”を書いていた。それは、相手チームがイニング途中で、投手交代になった際の“儀式”とも言える“蛍の光六甲おろし”の大合唱である。コレを受けて、ファン有志からなる“私設応援団”(大半はアレらしいが…w)では、オールスター明けのホーム戦以降は、この方式を一部変更するとの事。
とはいえ、元を質せば要するに途中でマウンドを降りなければならない程、乱調なピッチングをする投手が悪い訳であり、たとえ相手に対して“失礼”に当たる行為であっても、それを喰らう程ヘボい(調子悪い)のだから、ヤジられるのは当然の報いである。裏を返すと、“援護”役である野手がヘボい守備をやったり、肝心な場面で得点打を出せないのが積もり積もって、投手一人に“責任”を擦り付けてるチーム全体に対して、ファンからの批判でもある。

大体、文句のつけどころの無い選手など、最初からこの世にはいない訳であり、新人・若手時代は何らかの“欠点”があって普通である。それを突いてやってるヤジである以上、その選手には改善の余地がある。しかし、歴史に残る様な“大ベテラン”の域になると、この“悪口”すら無くなってしまう。もちろんそれは、成績の良さや偉大なる記録を樹立した功績がそうさせる部分もあるが、大半はヤジる為のネタが尽きて、久々に登場しても魅力がないからである。つまり“引退”も近い事を示すバロメーターである。
競馬でもそうだが、ベテラン騎手でも成績が落ちるとファンから“老害”と罵られ、人気の高い騎手でも馬券に絡まないケースが増えると、必然的に“金返せ!!”の罵声をパドックで(もちろん走路上でも)浴びる事がある。だが、その“ヤジ”がある騎手はまだマシな方で、中には戦績も良いのに誰からも注目されずに、ファンから(それどころか関係者にすら)見放された末に、静かに鞭を置く騎手もいる。
悪質なヤジを浴びせられるのが嫌なら、それを黙らせるだけの経験と実績を磨くべきであり、むしろそういう輩を“味方”に変える工夫と努力をするべきである。それができないなら、“現場”から去るべきであり、いつまでも“プロの生き様”に固執する必要性はない。
かつての創価学会もまた然りで、世間から批判され、あらゆる方面から弾圧を受けてきた。しかし、その事を逆に利用して、世間に存在を認知させた経緯がある。つまり、世間からの“悪口”は、自分たちが放っておけない存在である“証明”であり、それが減ったという事は、世間が存在を認めざる得ない状況になった反面、社会に潜む闇と馴れ合ってしまった部分もあるという事でもある。(とはいえ、某巨大掲示板サイトでは、未だに学会は“悪の権化”扱いだがw)
こういった事を考えると、解説者の“言い分”には一理あるが、だからといって悪行を重ねる“ダメ猫フーリガン”を批判する資格は無い。むしろ、プロである以上ファンの前で“闘争姿勢”を示せない選手こそ辞めるべきであり、ヤジられた分を次のチャンス(試合)で“リベンジ”してこそプロである。よって、ヤジられて怯える様ではまだまだ甘く、ヤジられた後、結果で“反撃”してこそ本物である。結局、自分がやった行為ひとつで、途方もない結果が待っている事を覚悟できない輩は、世間からも廃除され消えゆく運命なのである。