迷馬の隠れ家 はてな本館

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My favorite announcer “NEXT” vol.8

昨日の“植草親子”の続きで、今回は結樹アナの話を中心に進めていきます。(本来なら朋樹アナをやった方が面白いんですが、オイラの手元には、結樹アナの資料しかないんで…w)
芸能界なんかだと、“親子二代”でタレント活動をやってる事が稀にある訳だが、局アナの場合、本来は放送局の“社員”であって、兄弟ならともかく“親子”となると、かなり珍しいケースとなる。(ま、征平タンも息子クンは北陸某TV局のアナらしいが…)その“レアケース”の最たるモノで、しかも“親子二代でスポーツ実況アナ”なのは、この植草親子だけと言っても過言ではない。普通に考えると、“親の七光り”と揶揄されるのがオチであり、途中で“周囲のプレッシャー”に負けて挫折するケースが多い。しかし、系列局が違えど“親と同じ道”を選んだ結樹アナと朋樹アナは、そんなコトもおかまいなし(と言うと、怒られるがw)でアナウンサーになった訳であり、むしろ“父親と同じ苗字”故に、リスナー(視聴者)に声や顔を、すぐ覚えてもらえた訳である。

元々結樹アナは、TVOテレビ大阪のアナウンサーとしてデビューしたのではなく、最初はNBC長崎放送のアナとしてデビューする。ただ、ご存知の通り長崎県には“プロスポーツ”の拠点がなく、しかも年に一回あるかどうかのプロ野球“長崎巡業”ぐらいしか、スポーツ実況のチャンスはなかった。(そりゃ、高校野球の地方予選や、高校サッカーの地方大会程度の中継はあるが、それだって担当が回ってこないとできない訳で…。)
では、NBCアナ時代は何をしてたかって言うと、電リクや若者向けの深夜番組でのDJがメインだった。で、番組内でアマチュアバンドを結成して、たまに番組イベント等で演奏をやった事もあるとか。
しかし、プロ野球の実況がしたいという“熱意”は冷めやらず、しかも弟の朋樹アナがRKB毎日放送(@福岡県)に入社し、しかもちょうど福岡にダイエー(後の福岡ソフトバンク)ホークスが来た事もあって、実況のチャンスに恵まれていたのを受け、“よし、実況アナとしての新天地を探そう!!”と決意。貞パパさんの事も考え、できれば関西の“移籍先”を探し始めた訳である。で、その条件に似合ったのが、TVOだった訳である。
この頃のTVOは、生え抜きの局アナも結構いたんだが、TXN系の“悪癖”(殆どの番組をTXで制作し、東京ローカルネタでも“垂れ流し”放送で賄うやり方)で、活躍の場がほとんどなく、しかも“新人”を養成する余裕すらなかったぐらい弱体化していた。そこで、“腕に覚えアリ”な地方局アナの“移籍”を受け入れて、アナウンサーの“テコいれ”を図っていた。特にスポーツ中継は、TXの“垂れ流し”以外の枠で放送できる余地があると判断し、ローカルでしかもマイナーな種目の中継を主体に、放送枠を作ろうとしていた訳である。
しかし、その技術があるのは生え抜きの中では千歳屋俊幸アナだけで、他のアナは“報道専門”と割り切ってたモンだから、実況アナの“目玉”となる人材がいなかった訳である。そこに“光明”をもたらしたのが、結樹アナだった訳である。
昨日も話したが、貞パパさんの“功績”は関西では有名であり、全国の野球ファンにとっては、なくてはならない“名脇役”としての知名度があった。その“息子”が父親の跡を継いで実況アナになるという訳だから、当然注目度がある。ついでに言うと、NBCでアナとしての腕もあった訳だから、TVOにとって“マルチで使えるアナ”としての役目もこなせると判断され、移籍ができたのである。
こうして、貞パパさんの“存在”が功を奏して、時折ではあるがTVOでもダメ猫阪神戦の中継が行なわれる様になった訳だが、TVOはUHF方式の“地域局”扱いなのがネックで、しかも中継権の絡みもあって、甲子園(フランチャイズ)での中継はやっていない。そこで、その“裏”を突いて、大阪の他局では中継“不可能”な地方遠征や、交流戦でのパ・リーグ主催ゲームを中心に、しかも殆どの枠がドラマの“再放送”で埋めてるのを利用して、レギュラーで放送するべき番組を“休止・振替”で、できるだけ放送時間を確保する方法をとった訳である。(ちなみに、この“裏”にはCS放送が拡充してきて、プロ野球中継用スタッフが必要になった事もあって、コレに協力するカタチで地上波での中継を増やしている訳である。)
このTVOの動きに追随する様に、TXもゴルフ以外のスポーツ中継に時間を割く様になってきたのはいうまでもなく、その為の“実況アナ”の補強が必要となった訳である。しかし、“系列局だから…”という理由だけで、毎回TVOから結樹アナを借りるのでは、キー局の立場としては心苦しい。そんな時に、朋樹アナの“移籍話”が舞い込んだ訳である。
そしてそれは、TXN系にとってとてつもない“大役”が回ってくる福音だった訳である。そう、今から3年前の日本シリース(阪神vs福岡ダイエー)である。
そもそものきっかけは、某TV局のバラエティー番組での“失態”が原因で、ホークスサイドがブチ切れて、本来なら第7戦の“中継権”を某TVの系列局が持っていたのに、それを“剥奪”した訳である。で、TVQテレビ九州経由でTXに中継権が移行したのである。しかし、ご存知の通り、日本シリースで“第7戦”までもつれ込むケースは、ココ数年では殆ど発生しなかった。周囲からは“ムダな権利”と揶揄されたが、この年は、双方の戦力が拮抗した展開になり、ついに最終戦までもつれ込んだ訳である。そしてついに、この中継で初めて“兄弟インタビュアー”をスタンバイさせたのである。(結果は、RKB時代からホークスのホームゲームではゲンの良い朋樹アナが務めた。)
今年、もし仮に阪神が“逆転連覇”をやり遂げ、パ・リーグプレーオフでホークスが出てくると、もう一度このシーンを見る事ができるかもしれない。が、おそらくそれは、現時点ではないと思ってる。しかし、こういう事をやろうと思いついたTXNのスタッフにとって、この兄弟の存在は、貞パパさんを超えたのかもしれない。