迷馬の隠れ家 はてな本館

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方言と標準語

以前から、“My favorite announcer”シリーズでもちょくちょく出てきた“方言”と標準語”に関する話を、オイラなりにちょっとだけやっておこうと思う。そもそも“標準語”というのは明治以降、政府の取り決めを世間一般にキチンと伝わる様に、またNHKがラジオ放送を開始した際(大正時代後半以降)に、多くのリスナーに対してなるだけ正確な情報を“正確に”伝える為に、すべての日本言語を“統一化”しようとしてできた“共通表現語”であり、コレのおかげでほぼ日本全国で自分の“言いたい言葉”を正確に伝える様になったとされている。また、こういった背景には、幕末期の戦争で、友軍藩士とのコミュニケーション不足による現場での混乱が要因となってる部分がある。

とにかく江戸時代中期まで、“日本語”は地方によってバラバラな部分があって、同じ“大阪”でも、北摂(現在でいうと淀川以北)弁、河内(現在でいうと生駒山周辺)弁、泉州(現在でいうと堺西部以南)弁と“3言語”存在し、地元でも”コレ”のせいで混乱する事がしばしばあった訳である。まして、近畿地方では“コレら”の他に播州(神戸以西)弁やら山城(京都南部)弁、近江(滋賀県)弁等が存在し、それらを正しく理解しろというと…余程のモノ好きが旅慣れたヤツでないと無理というモノであった。
いわんや“幕末の志士”といえど、同じ藩士ならともかく、相手が薩摩(鹿児島)弁や土佐(高知)弁、長州(山口)弁で喋ろうモノなら、必ず“通訳”がいないと意味が通じず、作戦が上手く実行されずにモタつくのは必至だった。そこで思いついたのが“言語の統一”という訳である。従って、政府要人の殆どが薩摩藩長州藩だった事から、彼等が話す方言をベースに、しかも東京の住人にもわかる様に整備したのが“標準語”の始まりとされている。
現在よく使われてる“関西弁”は、基本的には近江商人船場商人が“取引”で使っていた“商人言葉”がベースになっていて、特に“上方お笑いブーム”時に河内弁を多用する芸人が多数TVで活躍していた影響もあって、発音が河内弁に近いモノが最近の傾向である。しかし、たまに“ネイティブ発音”の河内弁や泉州弁で話す高齢者と出会うと、流石のオイラでも混乱する。てのも、最近の“関西人”は、どちらかというと讃岐弁や九州(特に博多)弁の親が多いからだ。(ちなみにオイラのオカンは長崎弁w、オトン側の婆様は讃岐弁ww)いわゆる“集団就職”という名の下に、関西圏に移住してきた九州人や四国(特に香川県)人が、この関西の地で子供をもうけた関係で、“本物の関西弁”をこなせる関西人が減った訳である。そのせいで、“ネイティブ発音”ができる関西人からは“ヤな顔”される傾向にあるのはいうまでもない。
とはいえ、本来の“日本語”として正しいのは、実は関西弁だったりする様で、欧米人でも3ヶ月あったら、ある程度の関西弁を使える様になる…らしい。