迷馬の隠れ家 はてな本館

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もはや競馬に“ロマン”は不要か?

こないだのスポーツ紙、殆どがディープインパクト“引退”で賑わってましたが、やはりもう一度凱旋門賞にチャレンジしてほしいと願うのがファン真理というもの。しかし馬主は今後の“ビジネス”を考え、早期の引退を決めた様です。確かに現在の“種牡馬”としての価値は、競走成績や血統を考えると、相当な高値になる(事実、51億円ものシンジゲートが組まれている。)のは間違いないが、果たして、それで成功する可能性は…おそらく“ない”と思われます。てのも、過去の三冠馬血統で、サイヤーライン(基幹種牡馬血統)として残せた馬は皆無に等しく、シンザンミスターシービーでも、その後継種牡馬は完全ではないとはいえ“途絶え”ている現実がある。また、海外の例で言えば、大型シンジゲートが組まれていたシガーは、精密検査の結果繁殖に“不向き”の診断が出て、“種牡馬失格”の烙印とともに、功労馬の繋養牧場で余生を送っているという。また国内でも、“奇蹟の馬”という触込みのあったラムタラで失敗して、購入時の10%程度の価格で英国に売却したという例もある。

このように、いわゆる“繁殖馬ビジネス”は“競走馬ビジネス”より難しく、元手以上の成績を上げる為に、無茶をする事が多い。また、海外では評価が高くても、日本ではイマイチで終わるケースも多い為、実際にはかなりリスキーな商売ともいえる。
しかし、こういった“ビジネス”としての競馬が注目される様になったのはつい最近の話で、それまではいわゆる、有閑成金の“趣味”程度のモンでしかなかった。そのため、近年アメリカでは“競馬ビジネス”に関係するトラブルが頻発しており、ついこないだも、購入予定馬と違う馬を持ってきたとして、馬主側が購入エージェント相手に損害賠償を訴える裁判があったともいう。
そもそも“競馬”というスポーツは、貴族の乗馬競技の延長線上にあった“遊戯”であり、有閑貴族が有り余る財力を掛け合って開催したのが始まりである。(日本の場合は“神事”としての意味合いが強いがw)しかし“貴族の遊び”とはいえ、競走馬の生産は(たとえ“お抱え”であれ)農家の仕事であり、その為の助成金を貴族は負担せねばならなかった。だからこそ、“繁殖馬ビジネス”としての畜産があった訳である。
しかし、現在の“繁殖馬ビジネス”は、むしろ馬より“金銭”がメインであり、その“付加価値”として国際G1での戦績を重視する傾向にある。ゆえに、一回だけでも凱旋門賞を走ったという“箔”が欲しくって、レースを使ったと考えるとスジが通る。(もちろん、“三冠馬”というネームバリュー付きで)そういう意味ではむしろ、無茶苦茶なローテーションで走らせているコスモバルクの方が“ロマン派”の競馬ファンとしては、“健全”な考え方と思えるのであり、まだ走れるのに“引退”ってのは、どうも競走馬としての価値観が“胡散臭い”と思えるのである。しかし、今後の“繁殖馬ビジネス”を考えれば、この後レースを使わずに引退してもらう方が“賢明”だとは思う。てのも、“引退”を決めた後、人馬ともに気が緩んでしまい、そこで事故る場合があるからだ。まだ屈腱炎(通称“エビバラ”、あまりにも速度が速すぎて、負担が掛かった前脚のすねの腱がエビみたいに腫れる症状。酷くなると、アキレス腱みたいに切れてしまう事もある!!)なら良いが、ヘタするとレース中に骨折・予後不良で…って事になる場合もある。
確かに産駒が駆ける“ロマン”もあるが、やはり競走馬は競馬場で走ってこそ華であり、納得のいく結果を残して引退するのが粋である。むしろ、“ビジネス”という概念で競馬はやってほしくないし、面白味もない。欲望だけで競馬をやっていても、結局はオケラになるのがオチであるw