迷馬の隠れ家 はてな本館

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いじめをやるのは“臆病者”の僻み?!

相変わらず、学校や職場でのいじめを苦に自殺するケースが絶えませんなぁ。もちろん、自殺したモンはそこに至るまで耐え忍んでたのは確かですが、それ以上に精神的な制御が自分自身でできていない“加害者”が増えた様な気がします。また、状況は違いますが、大切な人を事故で亡くした後、その寂しさに耐えかねて“後追い自殺”をやっちゃった人もいらっしゃる様で。コレも結局は精神的な部分での未熟さを露呈してるとしか言いようがありません。
遺族の方々には大変失礼ですが、こういった自殺のケースは、“加害者”の責任だけで済む様な問題ではありません。むしろ、"被害者”側にいる皆さんの方にも“責任”があります。そう、傷付いた“被害者”を労る気持ちが欠落して…もちろん、出来得る事をやった上での話ですが…見殺しにしていないでしょうか?相手を責め立てる事より、自分達がもし、その人だったらどういう風に慰め、励ましてもらいたいか?あるいは、どういう風に“叱って”欲しかったか?それを検証した上で、加害者に対しそれを訴えるかが大事なのであって、頭ごなしに謝罪を求めても、結果として満足のいく“答え”を得る事など不可能です。

特に“いじめ”でのケースでは、原因を探る前にまず、どんなことを本人が気にしていたのか?あるいは、どうしてここまで精神が切迫した状況にまで行ってしまったのかを考えるのが大事です。その上で、その精神的な“痛み”を知り、一緒に悩みを打ち明け話す機会を増やす事で、回避できると確信を持って接するべきです。コレは、オイラ自身も“いじめられっ子”だった経験から言える話です。
“いじめ”の根本原因は、加害者側の精神的な“脆弱性”を見破られるのを嫌った見栄張りと、被害者側の露呈している弱点(成績が著しく悪い、見た目の醜さ、身体的な障害を有してる等)をカバーしきれていないという2点がポイントとなります。前者は特に、親の“権威”が自分をもカバーすると思い込み、そのクセしてちょっとでも他人に弱みを握られるのを嫌って、自分より明らかに劣ってると思う相手を虐める事によって、精神的な“開放感”を得ようとするタイプで、実際は親友や親に叱られる事で脆弱性を露にしてしまうんで、すぐヘコむ反面、バレない様に必死になって“証拠隠滅”を計ります。
しかし後者の場合、被害者から言うと実は、たとえ家族でも自分に取って“敵”と認識しているんです。言ってみれば“自意識過剰”なんです。ですから、誰にも悩みを打ち上げられず、しかも誰かに弱味を握られる事を極力嫌う傾向にあります。そのため、たとえ“いじめ”があっても、絶対にその苦しい心の内を明かそうとしません。
コレが双方に出た場合は最悪で、こうなると救い様がありません。しかし“最悪のシナリオ”を回避する方法はあります。それは、何気ない話なんですが“気分転換”と称して、じっくりと“対話”をする時間を作る事です。この場合は殴り合いの喧嘩もアリです。そう、受け手側は相手に、殴られようが傷付けられようが、その“痛み”を本人が抱え込んでる“心の痛み”として受け止め、一緒に泣いてやるのです。
世間のせいにしたり、加害者側のせいにするのは簡単ですが、それだけでは遺族は何の救いにもなりませんし、亡くなった本人だって浮かばれません。誠意のこもった謝罪を求めるのは当然の権利ですが、それで失ったモンの代わりを補う事は出来ません。しかし、生前の意志を継いで、あるいは“生きていた証し”を守る事こそ最大の供養であり、それを行なうのが遺族の“義務”です。それを放棄してまで、加害者を攻めれば、それが起因となって“不幸の連鎖”を広げてしまうのです。