迷馬の隠れ家 はてな本館

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ヒデボーの“守護見習い”日記 その1

こんにちわ、先月の菊花賞予想から参加している“見習い”のヒデボーです。いつもだったらこのカテゴリーは、マスターとマーティ先輩達の体験談をつらつら書いているらしいんですが、今回から不定期なからボクの近況を、マスターのカラダをお借りして書かせてもらう事になりました。マスターから言わせると、コレもボクが“成仏”ができる様にする為の修行の一環だそうです。本当はボク自身、未だに“死んだ”という実感がないんです。マーティ先輩が言うには、病気や偶発性の事故等で亡くなった場合と自ら命を絶った場合では、その“感覚”が違うらしくて、ボクの場合は生前時の感覚を引き摺ったままらしく、本来なら“自覚”するまでかなり時間がかかるらしいんです。でも、自分自身をどうにかしたいと思い、本当の意味で救われたいと願った時、その思いに呼応する事ができる“資格がある者”の持つチカラに導かれるそうです。(ボク自身、そこの部分がイマイチわからないんですが…)

ともかく、きっかけは何にせよ、ボクの場合はマスターがボクの“生前さん”を知っていて、時折気にかけていた事もあったらしく、ここにいる事ができる様なんです。
昨日もマスターとマーグ先輩が一緒に、ボクの“生前さん”にとって縁のある場所へ行ってたんですが、不思議なものです。マスター経由で見る風景には、ボクが覚えている幼い頃に見た“風景”が映るんです。マスターが言うには、マスター自身が何らかの拍子で“シンクロ”した際に記憶が合成され、その当時を知らなくても“見える”らしいんです。ただ、マスターとボクの“記憶”が重なったとしても、大概の場合は“参考資料”を読んだ後だったり、何度も同じ場所を通る時に意識するから、そういう事になるらしいんですが…。
最近、ボクみたいに人生がイヤになって自殺する人が増えているみたいですけど、正直言って“苦しい”だけです。マスターと出逢わなかったら、ずっとボクは“現場”から離れず、どうしていいのかわからないまま、陰湿な闇の中でのたうち回りながら“悪霊”になっていたのかもしれません。(実際は“自縛霊”となってて、既に他の人を“巻き添え”にしているのかもしれませんが…)そんなの、ボクは嫌です。“あの時”は確かに現状から“逃れたい”一心で、こうなってしまった訳ですが、だからといって、他人まで不幸にする必要性なんてどこにも無いハズです。それに気付いたから、マスターのところまで辿り着いたのだと、ボクは信じています。自殺しているボク自身が、こんな事言うのは何ですが、残された家族はどうすれば救われるんですか?(マスターにこれを言われた時、ボクは涙をこぼしたんです。あんまり、考えていなかったから…)何度謝りたくても、どれだけ反省の弁を言いたくても、死んでしまったら“何もできない”んです。恨んでる相手を殴りたくっても、憎い上司を蹴り飛ばしたくっても、ボクの“肉体”は既に無いからできないし、マスターのカラダを借りて“それ”を実行したら、マスター自身が“犯罪者”になってしまう。まして、“ボクだ”と言っても、多くの人は恐らく、信じてもらえない。どんなに虐げられても、“自分”という人間は、いくら同姓同名がいても“一人”しかいない。その“一人”として生きているなら、何度でも相手にぶつかる事ができる。でも死んだら、それすらできない。
どうか、自らの意志で“人生を捨てる”前に、もう一度、“自分”に振り返ってみてください。その時にボクと同じ過ちが、少しでも減ってくれたら、ボクも救いになります。