迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

“御書”から学ぶ、命の尊さ。

人身は受けがたし爪の上の土・人身は持ちがたし草の上の露、百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ
(崇峻天皇御書より引用)
コレの意味を現代風に訳すと、“人間としての命は、生まれるのも珍しく、しかも儚くて尊い。どんなに長生きしても虚しく死ぬより、一日でも“生きた証し”を残す事が大切だ”となる。で、なんでこの一文を記載したかというと、あんまりにも“無意味な自殺”がここんとこ、多すぎるからである。何もしないで平々凡々な人生を歩んでも、それは決して“幸福”ではない。むしろ、苦難に立ち向かい、波瀾万丈でも自分が選び邁進した人生こそ“幸福”であるという事に気付いてほしいからである。

携帯用の創価学会公式ホムペには、テーマ別で“御書”の要文集が掲載されている。(多分PC版にもある) で、コレ自身は“人生・生き方”をテーマにしたモンの中に、掲載されている文言である。(業務連絡、小学生でもわかる様な御聖訓が掲載されてるんで、ホムペは大いに活用しよう。)
“名をあげる”と言っても、遺書を残して自殺したり、公共施設を襲って無差別殺戮を犯す事ではない。まずは、“人間”として生まれた意味を知り、それに似合う“生き様”を示せという事だ。ちょっと考えたら解る話だが、現在世界中で生活している人間の数は、おおよそ50億人。しかし、コレがイエダニだったら、いつも使ってる枕の中綿に住み着いている数より少ないぐらいで、しかも多くのヤツらは夏場しか生きられない。(今でこそ“年中無休”で繁殖してる様だがw)また、厄介なインフルエンザウィルスも、空気中に何兆個も浮遊してるのに、人間の目には見えないし、変異型鳥インフルエンザでもない限り、冬場以外は感染しにくい。こういった点を踏まえると、人間として生まれてくるのは非常に稀で、そのくせ繁殖力や寿命は中途半端(動物としては長寿な部類だが、杉やアオダモといった樹木に比べたら断然短いw)。故に、“儚く尊い”生命であると“御書”では記載されているのである。
簡単に“責任を取る”意味合いで自殺するケースがあるが、それは大いなる間違いである。また、逆恨みで他人を殺めた場合はもちろん、不満があるという理由だけで公共物を破壊するのは、お門違いも甚だしい話である。相手を憎んだり僻むのは勝手だが、自分も相手の恨みを買う程の“何か”をやらかしている。それに気付かず“潔白”を明かそうというなら、相手に殺害されてもおかしくない事を覚悟しなくてはならない。それが嫌ならまず自分の非を認め、その上で相手の傲慢な態度を指摘するべきである。双方が安いプライドでいがみ合ってる以上、衝突するのは当たり前であり、痛い思いをするのは“双方平等”だからである。
“いじめは個性”とか抜かしてるガキに言いたいが、つまりは、自分はそれしか“取り柄がない”と言ってるのと同じであり、みんなと同じじゃないと生きていけない程弱いという意味で捉えられても仕方がないって事だ。優等生なヤツだって、ホントは両親が成績の優秀さ“だけ”を期待していて、自分の事を何も見ていない寂しさでいっぱいなヤツが多いんだぞ。見た目がブサイクなヤツだって、好きでそんな風に生まれたんじゃない。もしそれが自分だったら、どうすんだよ?

桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり
(御義口伝より引用)
それぞれの個性があって、それを無視して同じ様に扱えば、拗れて当然。でも、それぞれの良さを認め合い、活用するからこそ意味がある。ヤツ当たりしてるヒマがあったら、自分が“できること”を探してその技量を磨いて来い。同じフィールドで闘って埒が開かないんなら、別の分野で“王者”になりゃ良いだけの話。その為のハンデであり、個性なんだから。