迷馬の隠れ家 はてな本館

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また、急な話で…


(読売新聞) - 11月9日15時23分更新
 創価学会は9日、秋谷(あきや)栄之助会長(76)の任期途中での退任を内定した。後任には、原田稔副理事長(65)を充てる方向だ。9日中にも正式発表する。任期は5年間。
 秋谷氏は、1981年に北条浩第4代会長の急逝を受け、第5代会長に就任した。今年7月に再任され、6期目を務めていた。
報道にある様に、学会の会長が創立記念日を前に変更となりました。一般の報道では“来年の選挙絡み”とされているが、こういった急な“人事変更”は幹部クラスの場合、余程の事がない限り、“体調不良”が絡んでる事が多い。てのも、引用記事にも書かれてる様に、秋谷栄之助前会長の場合、“会長急死”という事態から、急遽抜擢された経緯があり、その当時の北条浩会長も実のトコをいうと、宗門との間で一悶着あった際の責任を取るカタチで池田大作SGI会長が創価学会の会長職を退いた為“ピンチヒッター”として出てきた訳である。(で、その激務で体調崩されて…“あぼ〜ん”って訳である)
まぁ、創価学会の“創立記念日”も近いんで、今回はこの部分について話させてもらいます。

元々、創価学会が教職員の日蓮正宗信徒集団だったのは、以前のネタ(“哲学独り言”過去ログ参照)でも話したが、その時の“会長”だったのが、牧口常三郎である。この方が小学校の校長先生だったから、教育現場の改革案と、宗教哲学による教育論を打ち立て、創立したのが1930年(昭和5年)11月18日という訳で、この時に“創価教育学体系”という本の第一巻が発行されたのが始まりとされてます。(ちなみに、牧口常三郎が殉教した日も11月18日です。)
戦後、獄中(治安維持法違反、戦時中はすべての宗教が国家神道の“神札”を供えなければいけないという、軍部からの圧力によるモノです!!)で殉教された牧口氏の跡を継いだのが戸田城聖で、創立時は理事長でした。ただ、戦時中の弾圧に屈した信徒が多数抜けたので、組織の立て直しには時間がかかり、会長へ就任したのは1951年(昭和26年)である。で、この時に宗教法人法が施行される事となり、翌年東京を“本拠地”とする宗教法人として、再スタートする事となった訳である。(ま、そこらへんの詳しい事は、コレを参照してくれw)
で、今回の会長さんは、そこから勘定して“6代目”という訳だが、学会員は大概の場合、現行の会長よりも“三代会長(牧口・戸田・池田)”の指導を活動の“基盤”にしている。その為、いくら学界全体の“幹部”といえど、その指導から逸脱した者に対しては、厳しい処分が下される。そんな中でも一番の“極悪人”として祀り上げられるのが、元弁護士で“アンチ学会”の主犯格である山崎正友である。このオッサン、本当だったら相当な実力者だった(らしい)んだが、当時“弁護士”という立場を利用し、宗教団体の“闇の部分”(特に金銭面)に触れて、学会員の“浄財”を横領したのである。この事にいち早く気付いてたのが、実は戸田氏自身であり、この事から自分が退任した後で会長職を引き継ぐ役員として推奨したのが、池田氏だった訳である。で、この事を“逆恨み”して、あらゆる分野の著名な知り合い(この中には大物政治家がいた!!)に声を掛け、“学会潰し”に躍起になった訳である。が、在籍する弁護士協会からクレームがついた(弁護士業務以外の仕事で、持ち会社の“計画倒産”を繰り返し、出資者を騙した事がバレた)のが運のツキで、コレが刑事事件に発展し、弁護士資格の“剥奪”という憂き目にあったw(週刊誌で“定期的”な学会バッシングネタが出た時は、大概はこのオッサンと取り巻きのネタ提供で、出版社の“小遣い稼ぎ”と発行部数稼ぎが目的っすw)
ま、こういった感じかな?