迷馬の隠れ家 はてな本館

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権力って何の為にあるの?

内閣支持率が下落しているが、当然の話といえるだろう。せっかく小泉時代にぶっ壊した“族議員政治”の仕組みが、ここにきて復古してるからだ。参院選を考えた選択肢ならば、むしろこういう“腐敗した輩”を完全追放してナンボであって、これでは支持者…ひいては国民を“裏切った”と見なして政治離れが進むだけである。それを“ヨシ”としている官僚どもはちっと気付いた方が良い。自分達のやった事は後に、後輩を苦しめる一凶となる。夕張市の現状なんかは最たるモンで、今後苦しむのは若年層の有権者であり、子孫末代である。結局は(こういう言い方はしたくないが…)老人どもの固執した“利己思想”が、結果として“国家滅亡”を招いているというだけである。

先人達の多くは、子孫の行く末を案じながら自分にできる“最善策”を模索してきた。だが時代が変わり、いままでの“備蓄”を食いつぶす事しかできない連中が“国主”になった時、それを諌める賢者がいても、“気に喰わないから…”とか、“自分の栄華を邪魔されたくないから…”とか抜かして、本来あるべき“主師親の三徳”を放棄して驕れるのは、悪政の始まりと考えてよい。つまり、最高権力者の“取り巻き”だけが生き残って、しかも図々しいぐらいに国民を見下すのである。忘れてはいけないが、国家を支えているのは国に住む“民”であって、王族や政治家、そして官僚ではない。
官僚や為政者の“権限”とは、本来なら国家の最前線で闘う民を守る為に重責を担っている事の代償であって、そのポジションだからと言って好き勝手に血税や公金を私的流用したり、考えなしで無駄に使ってはいけない。だが、その地位故に我を忘れ、暴走した挙げ句責任は民に擦り付けるとは、エエ根性である。
いくら“国家のため”といえど、これ以上官僚がバカバカしい事ばっかやっているのなら、滅亡した方がマシというもの。オイラでも金銭的な余裕さえあれば、国籍を捨てて“外国人”としての辱めに遭っても構わないと思う。が、それは言い換えれば、“外国人”故に国家に対して文句を言える立場ではなくなるという事でもある。だからこその“闘い”なのである。どこまで行っても大損をするだけならば、自殺したってしょうがないと思う。けど、何もせずに自分を殺めるのはもったいない。だから抗うのだ。
もっとも、こういう責任は、オイラ達有権者の責任だが、情けないのは組織内の“害虫”を駆除しない執行部であり、その執行部すら我侭し放題で善悪の区別を付けられないという始末である。こういう連中が、エラそうに“憲法改正”だとか“税率引き上げ”だとか言う権利はない。だが、現実は、そういった連中が権力の座にいる。
感謝の気持ちを忘れ、我欲だけで国家を支配する姿勢は、バカを通り超えて可哀想なぐらいである。本来の道徳とは、慈しみの心と、本当に“守るべきモノ”の為に尽力する事を知る学問であり、その背景には宗教がある。その宗教がエエ加減な宗門ばっかだから、教えを説く僧侶が堕落するのである。(そういや、さっき見たTVのニュースで、酒気帯び運転した僧侶がひき逃げやったってのを報じてたなぁ…)それと同じで、本物の“愛国心”があるのなら、街宣車で大音響で叫ぶよりも、海外に飛び出して他国の要人と討論を行なう事で自分を示すべきであり、災害時に被災地に飛び込んで救済を行なってこそ意味がある。手順とかではない、本物の“正義”の為に動けるかどうかである。そういう事すらわからないクセに、エエ格好して軍備強化や愛国主義なんて吠えるモンじゃない。