迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

当面の危機は免れたが…

以前、ばんえい競馬が今年度限りで廃止という話題を取り上げたが、帯広市主催のばんえいに限っては、とりあえず来年度も開催をするとの事です。スポンサーがついてくれた事が大きな理由であり、単独開催ならなんとか存続できる道筋ができた様ですが、これはあくまで“延命処置”みたいなモンであって、永続的な運営を考えると、抜本的な改革を迫られるのは必至です。それだけ行政は、住民生活を表面的な部分でしか見ていないという“ぬるま湯運営”を延々とやっていた証拠です。

コレは何も、ばんえい競馬に限った話ではありません。いずれJRAも“民営化”という話もでてくる訳ですし、他の地方競馬でも芳しくない現状をいつまでも放置してる様では、遅かれ早かれ行政運営全般の“破綻”を招く結果になります。
“御書”の一節に、『陰徳陽報』(いんとくようほう:日々努力の積み重ねがあって、それが表面化した時に報われるという意味)という教えがある。(業務連絡、今月の“大白蓮華”参照)コレと同じで、どんな商売でも日々の研究と開発があってこそ、初めて業績というカタチの結果を生むのであって、単純な“儲け話”で利益ばかりを求めるのは、結果として客人に対しての“無礼”であるのはいうまでもない。自分がどんなポジショニングであっても、そこでの経験や相手側に立った時に“自分なら何がしたいのか”という発想がなければ、結果として情報に振り回され呆然とするだけである。常日頃の感覚こそが最大の“情報源”であり、それ以外の噂や讒言はウラが取れるまでは信用してはいけない。
当然だが、法律だって役所や為政者の都合だけで変更できる様では意味がなく、だからといって時代世相にそぐわない法律をいつまでも改正しないのは、堕落を意味する。もっとも、教育という面でいけば、今回の改正法案で“犠牲”になるのはこれからの子育て世代であって、子育てを他人に任せ好き勝手やってきた為政者がどうこう言ったトコでいじめや学級崩壊が解決するハズもない。言い方を換えれば、それだけ庶民の実生活からかけ離れた“特権階級”生活のせいで、本来救われるべき民が結局“置いてけぼり”を喰らってる訳である。当然だが、法律を盾にし過ぎて、自分達の首を絞めてるって感覚が未だにわからないのだ。
もちろん、こういった事に敏感な自治体だってある。そういうトコの長というのは、大概は良い意味でのワンマンか“馴れ合い政治”の堕落に対して憤懣のあった元官僚かのどちらかであり、そういう立場の人間が今までの経験やそれに伴う疑問を常に提示し続けたからこそ改革が進むのであって、短期間で“改革”をやってもその結果は、元の木阿弥である。よって、本来のあり方を知らずに、単純に“面白そうだから…”と表面上だけ他人の真似をやるという事は、失敗して当然なのであり、ひいてはオリジナルの“実績”すら傷つける行為である。だからこそ伝統を引き継ぐなら先代以上に努力する必要性があり、まったく新しい試みを行なうのであれば、失敗を恐れてはいけない。その積み重ねこそ、いずれ“歴史的快挙”を招くきっかけになる。当然だが、永続的にHPやBlogの運営をやるのであれば、それに似合うだけの知識を身に付け、常に情報を発信し続ける努力が必要である。一過的にアクセス数が増えたとしても、それを保持し続けたいなら、更なる情報収集と経験が必要となる。その為の勉強は、日常あらゆる場所でできる。それをやるか否かは、結局自分次第である事はいうまでもない。