迷馬の隠れ家 はてな本館

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意識改革無しに“世直し”は成立しない?!

去年発生したJR福知山線脱線事故の調査報告書が、20日付けで公開された訳だが、事故の原因と責任については、JR西日本は亡くなった運転士のせいにしてるフシがある。確かに、事故を起こした直接の原因は運転士であるのは理解出来るが、事故を“予防”する観点で考えると、結局は“監督責任者”たるJR西日本の運営のあり方も問われて当然である。が、間違えてはいけない(と言うより、被害者には悪いが勘違いして欲しくない)のは、利用客自身の“無茶な要求”に答えんが為に…ひいてはそれを“サービスの一環”としてやり過ぎたのが結果としてウラ目に出ただけに過ぎないという点である。
また、官製談合や部落差別問題等も、本来は一部企業の不等な取り引きの是正や、これまでの“優遇措置”が何の為に行なわれてきたのかをキチンと把握した上で論ずるモンであって、悪用した者を罰するのは当然であっても、だからと言って同業者や住民までも侮辱してイイ訳ではない。まして、それが原因で自分が疎まれたとしても、決してそういう事をやったバカを恨んじゃいけない。むしろ、“獅子身中の虫”を駆除するつもりで自分達からけじめをつける行動を起こすべきである。

つまり、自分達自身の意識を改革しない限り、こういった問題は再発し易く、しかも巧妙且つ陰湿で厄介な手口になり得る。それだけ分、現在社会における真相心理の“闇”は、深くなり過ぎている。だからこそ、色んな事を学んで、活動する必要性がある。が、残念な事に、正しく理解する事より、コレを“悪用”して金儲けしようと考えるからタチが悪いw
で、それが更に(インターネットの影響もあって)変な方向へ飛び火するモンだから、余計に差別の連鎖は止められなくなるどころか、むしろそれに託つけた詐欺が横行し、結果として自分達自身で自分達を見下してしまっているのである。それに気付かないから、自分が傷付く事を嫌い、できれば他人が傷付いているのをコケにして笑いたいと考えてしまうのである。
重要なのは、自分が負った“痛み”はどんなに頑張っても他人は理解出来ない。勿論それは、他人の“痛み”を自分が理解してやりたくても出来ないのと同じである。だが、大きな違いがある。それは、自分にとって“大切なモノ”の為に傷付く事と、自分の“大切なモノ”のせいで傷付くのは、同じじゃないという事だ。“大切なモノ”は、物質だけとは限らないし、他人にしたらどうでもいい事だったりする。この“痛み”を知る為に、世間との“付き合い”というのはあると考えるべきだろう。それが理解出来ないなら、意識改革なんて、到底無理である。
“自分”が変われる…っという事は、当然だが世間の意識も変わる事だってできる。大切なのは、“ひとりぼっち”じゃないって事。本当の意味での“孤独”とは、相手を自分にとっては“親友”と思っていても、信頼していた仲間がいても、本当に自分が“傍にして欲しい時”に、そこに居ないという事である。そして、その事に気付かず、我侭を言い続けた時…一番寂しい思いをするのは、そんな自分である。誰かに“世直し”を頼むのではなく、自分が実証を表して、最前線で奔走してこそ“世直し”は始まるのである。