迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

感謝の気持ちがない世界…

ある派遣会社の社長が、“祝日も一切なくすべきた”と言った様だが、そもそも“祝日”というのは一体どういう基準で制定されているのだろうか?例えば、アメリカの独立記念日は、欧州(特にイギリス)の植民地からの脱却と、世界の模範となる国として尽力した先人への“感謝の気持ち”を表す為に制定されている。また、日本の建国記念日は、古代の書物(確か日本書紀)に記載された日時を現代に当て嵌めて制定された祝日である。当然だが、コレ以外にも世界中には様々な“祝日”がある。ただ、“祝日=休日”という考えは日本を含めて東アジアのごく一部の地域だけで、欧米では一部を除いて大概の“祝日”は、特定の曜日(例えば、●●月の第2月曜日とか)で設定されている。コレは、欧米の社会情勢に合わせた習慣であり、本来はそれぞれの民間風習における占術によって定められた日時が“祝日”として決められていた訳である。

結婚や葬式をやる際に、なにげにみんなは“大安”とか“友引”とかを気にするだろうと思う。コレも立派な占術に基づいた暦であり、コレを見て“晴れの日”や“卦の日”と称して用いてきたのである。つまり、宗教上の吉凶を定めたのが現行の暦に反映されたのが“祝日”の定義である。
で、日本の場合は基本的に、歴代の天皇の“聖誕祭”の意味合いがある。つまり、この国の“人神様”を、その配下にいる民が崇めたてまつる為の“大切な日”として定めたのが、今日の日本の祝日である。ただ、体育の日(元々は東京オリンピック開催日に合わせて制定された)や憲法記念日(日本国憲法施行を祝して制定された)の様な天皇とは関係ない部分での祝日もあるのは確かだが、基本的に祝日というより“祭日”としての意味合いが強い。だから、この日は本来、すべての仕事を止めてまで“国民偕祝事”として祝うのが“通例”だった。それを意味する行為として、玄関先に日の丸を掲げ、近所の神社に御詣りするのが“礼儀”であった。そう、八百万の神々に対して感謝の祈りを捧げる為の“晴れの日”こそ祝日の意味である。
こういう事を忘れ、ただ単純に“仕事中心”“業績中心”で物事を見ているから、本来の“人間性”というモノが失われ、結果として現在の様な“ワケワカラン”様な事件が勃発する情緒不安な社会が出来上がる。スキルを上げる為に勉強したり訓練を受けるのはよくわかるが、だからといってそれをやる為の時間を確保しようと思えば、それに似合うだけの犠牲…つまりは時として現在やっている仕事を辞める必要性もあるのだ。それを知らずに“要領よくやれば…”とか“無理に仕事しなくても…”とか言うのは、逆に“世間知らず”としか言いようがない。職種によっては、そういう事ができない(てか、やってはいけない)職業だってある。要するに、“みんなが支えあって成り立っているのが社会”という概念が欠落し、素直に感謝の気持ちを表す方法がわからなくなったから、本能的な“物欲”(食料→金銭の変化はあれど)へ走る様になっただけに過ぎない。そう考えると、会社が自分に対して何も望んでいないなら、不正でもやってでも会社を潰しても構わないって事でもある。そうやって“不透明な”経緯で倒産した会社があったとしたら…いずれこの国は滅亡するでしょう、遅かれ早かれ。