迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite announcer vol.25

2005年から始まったこのシリース、今年も継続していきますよ。さて、今年最初にアナウンサーは、いよいよ定年も近い様なんで、この方にしました。ABC-TVの朝の定番“おはよう朝日です”の初代MCだった乾龍介アナの話です。以前(2005年9月)に紹介した乾浩明アナと区別する為、ここでは番組内でも使われた愛称“龍ちゃん”で、紹介していきます。

以前説明した“腸捻転ネット”の絡みで、ABCは昔、OTV時代からの名残でTBSの番組を放送していた訳だが、コレが1980年に“解消”する事となり、テレ朝(当時は日本教育テレビ、通称NET)の番組を放送する事になった。が、当時NETでは自社制作ネットの朝番組が存在せず、ABC独自で開拓しなくてはならない状況となった。(で、MBSはTBSから“おはよう720”のネットを受けるハメになって、この結果努兄がTBSに出向した)で、この危機的状況を打破する為に、アメリカンスタイルの情報番組を制作する事となった訳である。当時…というより現在でも一部のCS番組で見かける様だが、アメリカの情報番組には必ずと言っていい程、生演奏用のピアノ(キーボード)が置いてあり、常に番組内BGMを演奏し続けていた。そこで、日本らしくエレクトーンによる生演奏をやろうとなった訳である。
で、この新たな試みに相応しいMCは…となった時にふと見渡すと、当時のABCのアナ達でいわゆる“さわやか系”のルックスを見つけるのが大変な状況だった訳である。ハデコテ系はゴマンといるが、朝の番組、しかもTVに顔出しできるアナはホントに限られていて、結局はその当時ラジオで人気が出始めていた龍ちゃんに“白羽の矢”が立った訳である。当時まだ30前半、ホントなら深夜の若者向け音楽番組“ABCヤングリクエスト”でDJとして活躍したかった盛りである。しかし、TVへの出演は当時の若手・中堅のアナにとっては“晴れ舞台”である。しかもレギュラーMCとなれば、それは一人前の“プロ”として認められた証でもある。恐らくかなり悩んだとは思うが、龍ちゃんはこの試練に向かう事となる。
というのも、実は若かりし頃の龍ちゃんには、ある“弱点”があった。それは、見た目にはわからないが自律神経失調症から不整脈になりやすい体質であった。事実、放送開始半年後、今までの不規則な生活がたたり、放送中何度もコレに悩まされ、一時は降板が囁かれた程だという。しかし、そこは奥さん特性の“体質改善弁当”を持参する様になって、降板するまでのおよそ7年間、無事にその大役を果たす事となる。(で、なぜか不整脈も治ってたw)
おは朝”降板後は、本人たっての願いでもあったのか、夜のラジオ番組をやってみたり、ニュース番組のアンカーマン(キャスター)を担当してたが、90年あたりに一時、アナとしての活動に終止符を打った。が、バブル崩壊後の99年春、再び龍ちゃんはラジオマイクの前に戻ってきた。しかも朝の時間帯で…。
今はその番組も終わり、“おは朝”もイメージとしては後輩である、宮根誠司アナの“看板番組”となってしまったが、“おは朝”の歴史の中では燦然と輝く初代MCである事には変わりはない。そんな龍ちゃんもこの4月、晴れて定年を迎える事となる。そして、今まで通い慣れた大淀のスタジオは、今年閉鎖となる。(新社屋およびスタジオは福島区に完成、移転となる。)そして“おは朝”の原点である、大阪タワー(ABCの放送塔)スカイスタジオも消滅する事が決定している。(老朽化していたため、スタジオそのものは既に閉鎖されている。)まるで、龍ちゃんがスタジオを去る日を待っていた様に、その役目を終えようとしている。