迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

“組織”は何の為にある?

連日報道されている、某洋菓子メーカーの“賞味期限切れ”問題。取引先…と言うと大袈裟だが、こういう食品の小売店業界にいる身分としては、ホント“ガッカリだよ!!”(やっくん風にw)な話である。オイラもこういう業界を知ってる人間だからこそ言えるんだが、単純に商品を取引しているのではない、その先にいる顧客の“生命”も預かった上で商売してるという意識がないと、ちょっとした事が会社を倒産させる原因にもなりかねない。特にこないだの配属変更で、パック済みの精肉を店舗ごとに振り分ける仕事になった訳だが、製造過程でのミス(異物混入、パッケージの変形等)を逃したまま出荷する事は、店舗で買い物をする“お客様”に迷惑をかけるだけでなく、ひいては会社の信用を損ねる失態である。それを未然に防ぐのが、最終行程…つまりは店舗ごとへの出荷振り分けを担うオイラの仕事だと思っている。クソ真面目すぎると思われるだろうが、“その先にいる者”の安全・信頼を守る事こそ小売業の務めであり、その為に品質の良い製品を提供してくれるのが、製造業の務めだと思う。

だが、勘違いしてほしくないのは、あくまでその最低ラインを守るべき組織が、取引先(=顧客)に対してチャランポランな態度を取る様では、属している人間はおろか、その家族や知り合いも堪ったモンじゃない。今回の件に関しても、某乳業と同じ過ちをやらかした訳であり、今まで培ってきた伝統や信頼を、一瞬にしてパーにしたのは明確である。
では、“組織”というのは本来どうあるべきなのか?素を質せば、それぞれの役割分担を明確にした上でひとつの作業を行うのが“組織”の存在意義であり、最大の目標の為に個々の実力を結集させる場である事が肝心である。言い方を変えれば、閑職だろうが極秘プロジェクトチームだろうが、誰ひとり欠けても物事が上手く機能しないって事である。
学会の布教活動でもそうだが、青年には青年の、婦人には婦人の闘いがある。そこに成果としての優劣はあっても、信仰という部分において考えた場合、どちらが優れているかという事自体“愚問”であるのは確かである。なぜなら、いくら学会への入会者が増えたとしても、本気で信心に励み福運を掴めてなければ、結果的に紹介された側も報われない。悩める者を救う為に一緒に泣き笑いして気持ちを通じ合わせてこそ意味があるのが、法華経の極意である。ゆえに、“宗教団体”という組織における役割とは、個々の闘いにおける“連絡網”のレベルであって、それが上級の位だからといって世間で通用する程エラくはない。まして、自分が犯した罪まで庇ってもらおうと考えるバカは、組織には邪魔である。
ゆえに、組織を裏切ったバカは、その罪を持って処分されるのは当たり前で、それがいかなる罰則であったとしても、従わなければいけない。むしろ、某政党の様に“反省文”一枚でチャラにしてもらえる程甘い組織は、その名を汚すだけでなく、堕落の果てに滅亡する。ただし、組織内の腐敗に対してリークした者を消す様な組織なら、むしろ自ら縁を切った方が得であり、残るのであっても壊滅的状況下からの復興をやるべきである。間違っても、“組織を守る為の人間”になってはいけない、“人間の尊重を守る組織”を築き上げていく為に尽力すれば良いのである。その為の“自由”と果たすべき“義務”があってこそ意味があるの訳で、それを双方が守れないなら、存在する必要なんてない。