迷馬の隠れ家 はてな本館

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“地域活性化”は逆転の発想が必要?!


新世界商店街にて。今日は昼間に新世界へ行ってきた。通天閣とメインストリート部分は、観光ガイトとかでも紹介されているから、観光客の出入りが激しく賑わってはいるが、ちょっと裏路地の商店街などに行くと、それと正反対に寂れた風景が目につく。シャッターの閉まった商店の殆どは、経営者の高齢化や店舗の古さ、更にはスーパーのような利便性がない事が影響して、客足が疎らである。(もちろん、行った時間帯にもよる部分はあるが…)しかしここには、大阪らしい“人情”が残っている。こういう場所こそ、実は“地域活性化”のキーワードが隠れている。こういう古ぼけた商店街も、見る人にとっては郷愁と驚きがつまっている。事実、コレと反対にあるジャンジャン町や近隣の西成・あいりん地区(の一部のドヤ宿)は、ネットでの紹介などで一躍有名になり、コレがきっかけで(少しずつではあるが)街の風景が変わってきてる。問題はそれを、どう“地域活性化”に活かす事ができるかである。

新世界界隈の駐車場は、管理人に鍵を預かるスタイルの駐車場と、いわゆるコインパーキングの類いが混在している。しかし、基本的に道路幅が狭く、しかも観光バスがひっきりなしに通行する様な場所だけに、駐車場の利用だけでもけっこう苦労する。(ま、バイクも扱ってくれる駐車場も多いんで、便利は便利だが…)逆転の発想で考えると、近くの地下鉄(堺筋線恵比須町駅or御堂筋線・動物園前駅)や阪堺電車(恵比須町駅)を活用して散策する様に観光客にアピールする事と同時進行で、駅舎や構内の再整備を行なう事で客足が伸びる可能性がある。また、古い事を逆に“良いこと”だとしてアピールする事で、却ってそういうのに関心のあるマニアの関心を引くきっかけ作りも必要となる。
もちろん、メジャーになればその分“デメリット”という部分も増える。つまり、昨今の“バリアフリー”だの“グローバリエーション”だのとは逆のトコに、こういう“昔ながら”の商店街があるという点である。人情やコミュニケーションはむしろ、不便さの向こう側にある“人間らしさ”を引き出すスパイスでもある。コレを嫌う者はトコトン、機械に管理された無機質なコンビニやスーパーに行くのが無難だろうと思われる。が、それ故に会話や他人との付き合いの大切さを忘れ、今日の様な“清潔だけど殺風景”な街が出来上がる。言い方を変えれば、“地域活性化”というのは、大型商業施設やリゾート開発とは別のベクトル…つまり、“よそ者”と地元の“交流の場”としての都市開発こそがポイントである。
以前、寺谷アナのネタをまとめる為に使った参考資料の中に、こういうのがあった。それは、東京のスタッフは大阪の“定番”の風景を望んでいて、いかにもいう映像ばかりを選ぶと…しかし、考えようによっては、そこしか知らない人間にとって“現実”を見せるのは、実際に訪れるまでの“お楽しみ”に残すのも“ひとつの妙案”である。無理矢理“大阪らしくない”風景を見せても、却って“東京と変わらない”とガッカリされるよりはマシである。ここに、地域という名の“個性”があるのだ。
それは何も、大阪に限った話ではない。むしろ、過疎化が進み有効求人倍率(つまりは雇用先)がまったくない地域でも“チャンス”はあるという事だ。土建ゼネコンの言いなりになっての開発よりも、本気で“地域活性化”を望むなら、定番風景を逆手に取って“本来の姿”を見せる為の工夫が必要となる。また、地元に住む人間も“よそ者”を嫌うよりもむしろ、ありのままの姿で“受け入れる”体制作りをするのが急務だと思う。それが上手くいかない原因は、住民が主張する“現状維持”という甘えた怠惰だとオイラは考えている。それにいち早く気付いて行動できる若者や有識者こそ、今後の“英雄”になると信じている。さて、この意見をどのような思いで、為政者は見てるであろうか?