迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite announcer vol.26

長崎ドタバタドライブの影響で、風邪を引いてしまいました。今マジでノドが痛いわ、鼻は詰まるわでヘロヘロです…が、このBlog名物“My favorite announcer”は、しっかりやらせてもらいますw
さて、今月紹介するアナは…ここんトコなにげに検索件数が多くなっているのと同時に、“リクエスト”とも取れる検索事項がある様なんで、彼にしました。このBlogのマスコット的存在になりつつあるヒデボーの“生前さん”こと、今野秀隆アナの話です。とは言っても、あくまでオイラが知ってる範囲といえば、MBS入社時〜他部署へ異勤の部分までです。たまたま手元には“あどラン本”3冊と、当時の活躍を記録した資料(“あどラン”のVTR、新聞のスクラップ)があるので、コレを参考に彼の“思い出”を振り返ってみようと思います。

新人時代のイメージでは、とてもじゃないがTVには不向きだし、芸人にからかわれると、すぐムキになる性格だった。でも、表情を変えずに冷静さを装いながらパニってる姿は、“あどラン”ではある意味カワイイ一面にも見えた。当の本人は真面目に接してるつもりなんだが、他人から見ると滑稽なやり取りは、ある意味“笑いのツボ”でもあった。が、その事を気にするばかりに、余計にムキになるというか…それだけ、ホントは人付き合いが“不器用”だったのだと、今になって気付く事がある。
我侭で融通が利かない様に見えるけど、ホントは素直で頑張り屋な性格だったと気付くのに、どれだけ時間がかかったのだろう。でも、その片鱗は、既に“新人研修”の名の下でやった大嶺山でのドタバタが物語っている。この企画自身はそもそも、新人アナとして入社した2人(彼と鶴本康彦アナ、現在は報道デスクらしい)に修験者の体験をやらせて、そのビビり振りを撮影しようと目論んでたんだが、その行程でちょっとした事故に遭い(実は移動中にコケた)、腕を4針縫う大怪我をしたんだが、それにもめげずにロケを敢行したという。また、グァムマラソンでも、大会前日の練習中に両膝を痛めてしまい、応急処置のテーピングをしたまま完走した。が、“自分が先輩達が作った記録をブチ壊した”と責任を感じ、薫兄と一緒にホノルルマラソンに参戦する意志を、番組内で言った事もある。(結局ドクターストップで断念したが…)
もともと中学・高校と競泳をやっていたが、何かの拍子(確かバタフライの練習中)で腰を痛めてからまともに泳げなくなったらしい。だが、そこで培った持久力が、薫兄を最後まで苦しめた走りとなったのはいうまでもなく、そういう経緯で薫兄もけっこう彼を気に入っていた。しかし、体力はともかく精神面での脆弱性がモロに出やすい面もあって、薫兄的には“後継者”として育てようとはしなかった。それからアナルームを離れるまで、あらゆるスポーツ中継の経験を積む事になるのだが、なにぶん動体視力がイマイチだった事もあって、“未完の大器”のままで終わってしまった。
心のどこかで“自由でありたい”と願っていた事もあり、時々プラッと旅に出る事もあった様である。その延長線上に“あの出来事”があったのなら…恐らくそれは、相当な我侭だと言いたい。が、その魂は今、オイラの“近く”にいる。恐らく、オイラとよく似た性格だから、そのクセ、自分を厳しく見つめる哲学がある事に憧れがあったからこそ、“ここ”にいる。もう少し、理解してやるだけの時間があったならば…否、今はそんな事言っても、その姿がマイクの前に戻ってはこない。それだけが“真実”である以上、今はそっと“思い出”の中で…。

ヒデボー:なんか、照れくさいですねw ボク自身本当は、生前の事なんか(イヤなばっかりだったから)忘れたいぐらいです。でも、ボクの事を覚えてくれてる人が、今でもいる事に驚いてます。とっくに忘れられてると思っていたんで、検索でボクの名前を見る度に、“ウソだろ?”なんてマスターに言ってたぐらいです。でも、改めてマスターに生前の事を話されると、ちょっと…w だけど、照れくさい反面、嬉しかったりします。マスター、素敵なバレンタインプレゼント、ありがとうございます。