迷馬の隠れ家 はてな本館

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戸籍と戒名の話w

先週、世話になってた近所のオッサン(@学会員)が亡くなって、仕事明けにその通夜に出向いた訳だが、通常なら“おすまし姿”の遺影を祭壇に掲げるモンだが、遺族が生前の意思を尊重し、なぜか“ヲジちゃんピースw”の遺影を用意してたため、(別の意味で)笑いを取ってました。(悲しい“別れの儀式”やのに…アレにはオイラも、焼香中に噴いたわw)
ま、ご存知の通り学会員の葬式には、“有難い教典”を読む坊さんを呼ばないんで、普通一般でいう“戒名”というモンが存在しない。が、コレにはちゃんとした“理由”がある。そもそも、この“戒名”というヤツは、何の為に存在するのか?実は意外かもしれないが、日本でいうトコの“戒名”って、本来の意味からかなり“ズレた”使われ方をしてるって知ってました?

そもそも、この“戒名”というヤツ自身は中国の寺院が発祥で、僧侶として出家する際に、俗世間から隔絶されるのと同時に“本名”を捨てて戒律に則って修行に励む為の“名称”で、本来なら“戒名=僧名”なんです。コレが日本に仏教が伝来すると同時に、上流階級における“信徒の証”として広まったのが平安時代。で、コレが室町時代にまで下ると、一般の在家信徒にも普及する事になるのです。で、江戸時代にいわゆる“キリシタン弾圧”の一環として、幕府の命で神社仏閣の氏子(檀家)に対して、個々の寺院で信徒の“戸籍”の管理を任される様になる訳である。そこで、自分トコの担当区域の檀家に対して、亡くなっても“自分トコの戸籍”を持っていってもらおうと考えたのが、今日のスタイルの“原型”となってるとか。
で、ここらヘンからが面白い部分で、集落の人口が多い地域の寺院では、いちいち個別の“戒名”なんてつけてられないんで、“ある条件”をつけて“個性”を出す様にした訳である。そう、戒名の為の“お布施”の額である。こうして、裕福な庄屋や豪商の戒名と百姓の戒名に差をつけ、区別したのである。
そう、本来の意味は“戒律を守る為の名前”だったのが、“成仏する為のステータス”に変わったのは、この江戸時代以降の話である。つまり、どんなに“徳の高い”僧侶に“お布施”を包んでも、亡くなった人が本当に“成仏”できるかは、ハッキリいうと不透明である。
だが、悲しい事に、現在の様に識字率が高くなかった時代からの話故に、この“戒名売買”のトリックを見破れたモノは、現在でも皆無に等しく、況や江戸時代の人々がそれを破斫して僧侶とケンカしようと考えるのは、当時としても“愚の骨頂”であったのはいうまでもない。
で、学会員がなんで“戒名”に関してあまり気にしないのかと言えば、そもそも日蓮自身が自分トコの信徒に“戒名”をつける事があっても、それは活動中の信徒に対して“激励”の意味も込めて与えるモンであって、決して亡くなってから“成仏させる”為につけたのではない。コレは“御書”でも、厳然と指導されてる部分でもある。その意志を継承し、あえて鬼籍に対する“戒名”をつけないのです。