迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

“異体同心”で奇蹟を起こせ!!

一人(いちにん)の心なれど二つの心あれば其の心違(たが)いて成ずる事なし、百人・千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず、日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし、日蓮が一類は異体同心なれば人人少なく候へども大事を成して・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし
(異体同心事より)
(業務連絡:今月の座談会拝読御書の範囲です。詳しくは今月号の“大白蓮華”または2日の“聖教新聞”の6面を参照)
なんで、この“御聖訓”を取り上げてるのかというと、広瀬アナやニャオキの病気が一日でも快方に向かう様に願ってるファンも多いだろうと思い、そういう方の為にも僭越ながらオイラ流に解説しようという訳である。
そもそもこの“御書”自身は建治元年(1275年)頃に、身延(現在でいうと山梨県南巨摩郡あたり)から駿河国(現在の静岡県中央部)の門下生に宛てた手紙で、後に“熱原の法難”と称される在家信徒が弾圧を受ける事を予期され、それに対する心構えと布教活動に対する激励を込めて送ったとされます。

ま、ぶっちゃけた話、折伏・弘教には在家だろうが僧侶だろうが、“この仏法哲学を広めたい”という思いをみんなが共有し行動すれば、必ず困難を“乗り越えられる”と説かれている訳で、その為に大事なのが“異体同心”という姿勢なのです。つまり、自分達の立場やできる事はバラバラでも、目標に向かって邁進しようという思いを団結させれば、必ず道が拓ける…物体的に人数をそろえたり大まかな展望で考えたりするのではなく、本気で“成就させたい!!”と願う気持ちを、みんなが持ち合わせる事が肝心と説いているのです。
一番ツラい思いをしてるのは、“宿命”という名の厄介事に立ち向かっている本人です。彼等に励ますつもりでかける言葉は、時として本人の心を傷つける事になりかねません。最良の“答え”は本人以外見つける事ができない訳ですから、安易に“無理するな”とか“頑張れ”という言葉は、むしろ逆効果です。最期まで“諦めたくない”と気丈に振る舞っているのなら、その思いを汲んで、一番“やりたがってること”に専念できる様協力してやる事です。だからオイラは、(特に広瀬アナに対しては)“気が済むまで競馬を実況し続けてくれ”と、エールを送りたいのです。この思いは恐らく、ファンならわかってくれると思うし、何よりも本人にとって一番の励みになると思うんです。その思いが合致したとき、奇蹟は絶対に起きるとオイラは信じています。