迷馬の隠れ家 はてな本館

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あどランアーカイブ その33(報われなかった“あどラン茶屋町組”)

本題の前にちょっと一言。今日(4/4)で“Farewell 千里丘 あどランファン交流OFF”の参加申し込み、締切ですよ。参加したい方は、今すぐご連絡を。当日はオイラが発行する“参加証明書”がないと、某所の“見学”ができないですよw
つう訳で、今週からOFF会までの毎週水曜日は“あどラン強化月間”第2弾を行ないます。現在のMBSアナウンサーは大まかに分けて4タイプありまして、大きな流れとして“千里丘組”と“茶屋町組”という分け方と、“あどラン経験者”と“あどラン未経験者”に分類する方法があります。つまり、“あどラン”放送開始時には既に入社(または移籍)してたメンツと、“あどラン”放送開始後の千里丘時代に入社(または移籍)したメンツ、茶屋町に引っ越してから入社(または移籍)したメンツ、そして“あどラン”終了後に入社(または移籍)したメンツに分類できる訳です。で、現在主流になってるのが“茶屋町組”の面々で、特に“あどラン”放送時の入社組が最前線で活躍しています。が、実はこのメンツがある意味“あどラン”の主旨を“勘違い”した可哀想な連中なんです。

というのも、茶屋町へ引っ越して以降、“あどラン”そのものの方向性がおかしくなってきた時期であり、特にベテランアナ達が番組を“おもちゃ”にし過ぎた部分が目につく様になった訳です。こうなると、若手アナは活躍の場が極端に減り、“あどラン”への参加はおろか、他の番組での出番もベテラン勢が“あどラン”での人気を勘違いして“略奪”する始末だったんです。このせいで、まともなアナウンス研修よりも“あどラン”でのバカ騒ぎを“本業”と勘違いするバカも見受けられる様になったのです。コレが結局、“あどラン”そのものの寿命を縮めたと言っても過言んじゃなく、“あどラン”終了後も、最近になるまで日の目を見なかったメンツになってしまったのです。
もちろん、それは“千里丘組”であるベテラン勢の暴走が“原因”ですが、この頃の若手は“番組の人気はベテラン勢が作り上げたモノ”という概念に囚われ、自分がやりたい事、興味のあるネタを企画会議で挙げるだけでなく、その企画に対して責任を持って実行するという思いが欠落していたのも事実です。とにかく、自分達も主役を張れるチャンスを、自らの手で潰してしまうケースが多々あって、結局ベテラン勢の活躍が目立つための“演出”に成り下がってしまったのが、この“茶屋町組”の欠点だったのです。故に、“あどラン未経験者”の後輩達に出し抜かれた連中が次々と姿を消したのです。とはいえ、現在のベテラン勢は“あどラン千里丘組”が殆どで、中堅の“あどラン茶屋町組”は(バブル不況の影響もあって)絶対数が少ない上に、番組自身に関しても“出るだけ苦痛”なモノだったのかもしれません。