迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

確信を持って祈る事…

譬えば頭をふればかみゆるぐ心はたらけば身うごく、大風吹けば草木しづかならず・大地うごけば大海さはがし、教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ、水やあるべき
(業務連絡:今月の座談会拝読御書です。詳しくは今日の聖教新聞6面、または大白蓮華4月号84P参照)
これは、“日眼女(にちげんにょ:四条金吾の嫁ハン)造立(ぞうりゅう)釈迦仏供養事”という御書の一文です。もともとは、弘安2年(1279年)2月に、在家信徒でもかなりの熱血漢だった四条金吾の嫁ハンである日眼女宛に書かれた手紙で、ちょうど厄年(数えで37歳)だったんで、3寸(およそ10cm、大体144/1サイズのストライクガ●ダム程度w)の釈尊像を建立した事を日蓮に報告した時の返答です。鎌倉時代はご存知の通り、人々が挙って阿弥陀仏を信仰した時代であり、それに異議を唱えた日蓮とその信徒は“異端児”としてみられていた頃です。
そんな折に、あえて阿弥陀仏ではなく釈迦仏像を建立した事に対して、根本的な信仰のあり方の指導も兼ねて送られたモノです。

つまり、本尊とするべきは仏像や爾前経ではなく法華経の教えであり、それに伴った行動こそが正しい仏教信仰のあり方だと説いているのです。従って、仏像を建立した事を褒めているのではなく、正しい信仰のあり方に起って、阿弥陀仏信仰に対して釈迦仏を造立して異議を唱えた姿勢を褒めたのです。(夫婦揃って、当時としてはかなりFUNKな…w)
この一文で重要なのは、根本的な部分での信心のあり方を示し、それに基づいた祈りこそが“幸福への近道”と説いてる事です。釈尊は仏教の“教主”である以上は、爾前経でも法華経でも釈尊の哲学こそが根本的な考え方であり、そこへ近付くための修行が“法華経の行”なのです。学会員(も含めた日蓮宗系信徒全般)の場合は、それこそ日蓮が説いた御本尊が根本であり、この教えを広宣流布する事が基本です。故にその信心から発する行動が根本である以上、それをバカにする者に対して実証を示す事で世間と闘ってきた訳です。その“実績”を横取りして、自分の手柄の様にふんぞり返ってるアホがいるモンだから、学会員は“激怒”してる訳です。(どこぞの誰とは言わんがな…w)どんな迫害を受けようと、どんな困難にぶつかろうと、それを乗り越える勇気とは、深き祈りに伴う自分自身の信心のあり方です。
神仏に縋りたい気持ちはわからなくはないですが、ただ縋って甘えるだけじゃ結局何も変わらないし、単なる堕落した生活です。日々の生活を変えたいと思うなら、それに似合った行動も必要なのです。