迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

暴力では、何も解決しない!!

アメリカの銃乱射事件と連動するかの様に、先程から長崎市長への発砲事件が報じられております。(このネタを書いてる時点では、被害に遭った市長は心肺停止状態という事ですが…)犯行動機がなんであれ、銃殺を実行する事は、どんな社会であっても許されない行為であり、言論を拒む姿勢として受け止めなければいけません。
一部報道機関には、犯行声明と長崎市における公共事業での不正取引の実態を暴露した資料が送られてきたそうですが、そんなのを送りつけていたなら、なんで襲撃をするのですか?また、こういう“事件”を未然に防ぐ事ができたのにも関わらず、報道関係者はなぜもっと早く取材をしなかったのか…。こう思うと、日本の報道機関の腐敗振りは、かなり深刻としか言い様がありません。(もちろん、捏造や歪曲な記事はアレですが…w)

何度も言いますが、どんなに戦争ですべてを破壊しようと、学校で銃を乱射して大量殺戮をやろうとも、地下鉄構内に毒ガスを撒こうと、結局はなにも問題解決に結びつきません。どんなに相手が憎くても、“対話”のテーブルに双方が着席しない限り、互いの痛みを理解する事も、まして自分の主張を聞き入れてもらう事も、できないのです。この対話運動を拡大しようというのが“非暴力の闘争”であり、真の意味では平和と繁栄を守るための戦いなのです。やってる事は一見地味なモンですが、その効果は絶大です。しかし残念な事に、こういうのを嫌う連中の解決策は、いたってシンプル且つ残虐なモンであり、自身が“人間である”という概念を忘れた哀れな姿である事を知らないのです。また、その事を何度教えても、結局は堪忍袋の緒が切れて“殺戮”を繰り返すのです。
“殺戮”を繰り返す背景には、人間だからこそやってしまう傲慢さと、人類というのは所詮“霊長目ヒト科”という動物である事に過ぎないという現実が見え隠れします。言い方を換えると、真の意味での“人間”なのか、学術的に“ヒト”なのかの境目は、意外と曖昧且つ紙一重なんです。それだけ、現代社会は病んだ状態にあるとしか言い様がありません。そこに民族や宗教思想、更には風土等の要素が絡み合って、それによる“格差”を悪用して、多くの人々を殺し合いに導く事で笑う為政者や商売人がいるのです。こういう輩こそ真面目な話、実行犯よりも、否、実行犯以上に人間のクズなのです。そこを見抜いてこそ、賢い“有権者”なのです。
教訓:政治を変えたければ、必ず選挙の投票に参加しよう。あなたの一票が、世界を動かす大きな力になるのだから。