迷馬の隠れ家 はてな本館

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為政者が有権者をダマす時…

世の常というか毎度の事と言うべきか、選挙が終わる度に感じる事だが、選挙時期はペコペコと頭下げる政治家は、大概当選した途端にエラそうに有権者をコケにする。もちろん、真面目にこの地域を良くしようと努力される方もいる訳だが、大概は土建屋医療機関、果ては“闇の力”とツルんで善良な有権者をコケにした挙げ句、政策失敗時はその責任を有権者に擦り付ける。もちろん、有権者は投票する以上は、そういう事も吟味した上でやってる訳だが、問題はその選挙に参加せずに文句言ってるバカにある。こういう輩は、ぶっちゃけな話、いじめの構造上に置ける"傍観者”とまったく同じで、加害者以上の罪を背負ってる。しかし、真面目な候補者が明確なマニュフェスト(政治公約)を掲げていても、政治と関係無い情報に惑わされた挙げ句、疑心暗鬼になって“せっかく投票権があっても、投票に行かない”というパラドックスを生む。

つまり、政治家が有権者をコケにしたツケが、民主主義の屋台骨を揺るがしかねない状況を生んだと言っても過言ではない。
しかし、時に為政者は、民衆を思うあまりに途方もない“方便”を唱える事がある。例えば、財政問題に関して言えば、生産性向上と民衆の負担軽減を両天秤に掛けて、同時進行でやる事を政治公約で掲げてしまう。しかしよく考えてほしいのだが、税収がないのに公的資金で何かをやろうとすれば、当然ながら税収以外の収入(公債発行や公営ギャンブル推進等)を模索する訳であり、それを回避したいなら、現行の公的サービスの統廃合を考えるのがスジである。(コレに目を付けてバカな公約を掲げてるのが、某政党なんだがw)要は、“嫌な二者択一”は避けられない本質的な問題であり、それを上手く民衆に説明できるか否かで政治家の度量が図れるというモンである。
日本は60年以上前の戦争の清算が未だできず、コレ故に“隣人”達からいじめられ続けてる哀れな存在である。しかし、よく考えてほしいのだが、それを許すか否かは当事者自身の問題であって、それこそ過去の大罪を理由に拉致や強奪等を行なうのは、とんでもない“勘違い”である。こういった部分を訴えられる為政者でないと、今後もこういった被害は増える一方だろう。国防のために軍備を整える事も必要だが、根本的な部分で襟を正さない相手と対話する以上は、罵倒される覚悟が必要である。だが、必ず相手もどっかで自分の“途方もない過ち”に気付く時が来る。そのせいで双方が傷付く前に、キチンと話し合うべきである。それができないのなら、いい加減相手の“限界”に気付き、自分が譲るべきと悟る事が重要である。
話が逸れたが、要はこういった事で“本音トーク”ができないから、虚勢を張って嘘をつくのである。しかし、誰も成果が上がらなくて結果的に“交渉失敗”だったからと言って、その責任を攻める事はしない。無視されるか、慰めるかのどっちかだ。