迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite announcer vol.29

『ニューヨークへ行きたいか!! 罰ゲームは怖くないかぁ!!』
時期的にはまだ早いけど、昔このセリフが聞こえると、無性にTVの前で熱くなったモンですなぁ…。まぁ、今月はOFF会の準備もあって、なかなか図書館へ資料集めや検索するヒマがなかったんで、ストックしてある情報で“My favorite announcer”は進めます。で、今月は上記のセリフでわかったヤツ、挙手w そうです、NTV日本テレビ放送網が生んだ“Mr.ウルトラクイズ”こと、福留功男アナの話です。1970年代後半から90年代に掛けて、毎年の如く放送されたこのNTV名物クイズ番組。そもそもは開局記念番組として、旅行会社や番組制作スタッフを巻き込んだ壮大な“おバカ番組”だった訳だが、コレがきっかけで多くの大学に“クイズ研究会”なるサークルが発足する程ヒートしたのはいうまでもなく、この番組がなければ、現在の“トメさん”は存在しなかったと言ってもいい番組。しかし、当の本人は、実は報道記者を志望していたんだとか。

プロフィールでは高知県出身となってはいるんだが、実は小学4年生ぐらいから高校卒業までは大阪・天王寺区に住んでいた。てのも、父親がいわゆる“流れ板”ってヤツで、それこそ飛田新地や今里新地等の繁華街を転々としながら、厨房で腕を振るっていたんだとか。その影響で、幼い時から料理好きで、大概の料理はレシピなしで作れちゃう程の腕を持つ。それでいて人一倍に声が通るため、身体は小さいながらも目立つ存在だった様である。次男だった事もあって父親と同じ道を選ばず、マスコミの世界に興味を示し、東京の大学へ進学する事になる。そこで後にトラキチからG党へ“転身”するきっかけを作る人物と遭遇する訳である。(それに関しては、後日話すがw)
で、まぁ大阪から東京へわざわざ出てきた“苦学生”だった訳で、バイト先も報道に携わりたいと向かったのが、後にアナとしてのスタートを切るNTVだった訳である。そしてNTVの入社試験をパスした後、当の本人は報道を希望してたにも拘らず、局内に響く大声を耳にした当時の編成局長(だったかな?)から、“明日からオマエはアナウンサーになれ!!”と言われ、アナの道へ進む事になるのである。そこで、プロレスやプロ野球の実況アナとして研修を受ける事となる。ここでの経験が後に“ウルトラクイズ”での活躍に繋がっていく訳である。
じゃ、なんでアナウンサーではなく報道記者を志望したかというと、関西人故のジレンマ…そう、“関西弁”がなかなか抜けなかった事がトメさんにとって“アナとしての欠点”だと思い込んでたフシがあった訳である。ま、確かにトメさんが入社した時代は、関西弁に対してかなりの差別を受けた時代であり、ちょっと油断するとすぐに関東出身の先輩アナからバッシングを受ける様な状況である。だから、マイクの前で言葉を発するアナウンサーより、事件等の原稿を書き込む報道記者の方が数段マシだと考えたからである。その思いは後に、“ズームイン!!朝!”のキャスター時代に、阪神・淡路大震災発生翌日に現場へ向かうという行動へと繋がるのである。
アナとしてデビューしたのは良いが、運が良いのか悪いのか、ちょうどトメさんより年上の徳光和夫アナ(この方に関しても後日、紹介します)が人気を独占していた事もあって、他のアナ達同様に地味な存在でしかなかった。が、“アメリカ横断ウルトラクイズ”の企画が出た時に、勝ち残った参加者と同行してクイズを出題する担当として白羽の矢が立ったのが35歳の時。理由としては、社員だから“海外出張&現地で業務”という事で制作コストを削減しようという事だったらしく、だからと言って、既に“ズームイン!!”の担当だった徳光アナに長期間番組を休んで参加させる訳にもいかなかったから、トメさんになったという訳である。コレが後に予選だけで東京ドーム(放送開始時は後楽園球場)を満杯にさせる程の“お祭り騒ぎ”の基になるとはつゆ知らず。
こうしてトメさんは、多くのクイズマニアから“逢ってみたいアナウンサー”の一人として認められる様になり、いつしか“ウルトラクイズ”の弟版ともいえる“高校生クイズ”参加者の“憧れ”にもなっていった訳である。しかし、人気が出ると同時に厄介な問題も出てくるというモンで、年齢的に何度も“アメリカ大陸横断クイズ旅”を続ける事ができなくなって来たのはいうまでもなく、まして徳光アナがフリーに転身して以降は、NTVの看板アナという責務が生ずる事になる。まして、局アナは放送局の“社員”である以上は、デスク業務もこなさないといけない。そういう事もあってトメさんも、後にフリーへ転身する事となる。
それにしても、トメさんが途中から担当する様になった番組は、やたらと長寿になる傾向がある。現在放送されているレギュラー番組は、いずれも放送開始時はトメさんは存在しなかった。が、様々な理由で途中からの参加や代役として登場すると、途端に視聴率が安定するのか、トメさん自身に多くのスポンサーがつ付きやすいのか、担当から10年以上続くケースが多い。そういえば“ウルトラクイズ”は、放送開始当初からトメさんが10年以上担当した後、福沢朗アナに代替わりした途端に終わってしまった。(ま、福沢アナは“コンテンツブレーカー”という異名がある訳だがw)その原因を探ると、恐らく出演者やゲスト、そして参加者に対して常に気遣っている部分がある。そういう点では、他のアナ達と違う独特の“間合い”があるのだろうと思われる。そういう意味合いでは、ある種の“癒し系アナ”なのかもしれない。