迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

未来に何を残せるか…その2

昨日の続きです。ではなぜ、創価学会は世界中の宗教関係者…特に哲学の分野においての学者で評価が高いのか?その理由は宗教を万民を先導する組織としてではなく、人間らしく生きるための学問として確立してる事です。しかしながら、日本はそういった事実よりも、日蓮仏法に傾倒した“カルト教団”の意味合いで嫌う傾向にあり、ひいては選挙の度に集会を開いて、親戚縁者を巻き添えにして公明党推進に躍起になってる気違い集団と罵る。だが、その姿を見た外国人は異口同音に日本人をコケにしている。まさに、今の外交のマズさの要諦がココに現れているのです。

とにかく、従軍慰安婦問題にしても、原爆の是非に関しても、肝心なのは、被害者本人の“証言”が真実かどうかの検証が必要であって、真実であったとしても、当事者同士の問題なのか国家レベルの問題なのかを摺り替えてはいけないということ。従軍慰安婦や沖縄の問題は、実際に被害に遭った人々自身の問題なのにも関わらず、なんで国レベルで話すのかよく考えるとわかるのだが、保証されるべき人より国籍のあった国々が、この問題を“日本の弱味”と見越した上で話しているという事に気付いてほしい。当事者自身はそこまで思っていなかったハズなのに、ここまで大事になってるのは、その問題に関与している官僚の邪な“入れ知恵”があった可能性がある。また、原爆に関しても、確かに広島市民と長崎市民(プラス、沖縄県人やマリアナ諸島等に入植していた日本人の尊い犠牲)の犠牲があって、日本本土での“殲滅戦”を回避できた事実はあっても、それだけ分の命を一瞬にして破壊した罪は、アメリカ人すべてが土下座しても拭う事はできない。当然だが、北朝鮮拉致問題とて、そもそもの原因が日本人による朝鮮半島侵略とその後の朝鮮戦争による“祖国分断”という混乱だったとしても、直接危害を加えたモンの関係者じゃない家族を傷つけるのは、お門違いも甚だしい。
その積み重ねが、結果として子供達にどういう“歪み”をもたらすか…深く考えた事が無いから、子供本人にとっちゃ関係無い部分を“理由”に、他人からイジメられるのである。片方の親がカルトやヲタクに没頭し過ぎるのを見て近隣の主婦が有らぬ噂を立て、コレがその息子や娘に回って、その友人・縁者経由で自分の子供に難癖を付けられる…オイラもそういう経験をした一人です。でも、それ故に大人…即ちジコチューなDQNが許せないのです、個人であれ国家であれ。(かくいうオイラも、ある意味ジコチューw)
子供達…否未来に“何を”残せるか、それを決めるのは自分以外にいないのです。それがわかってた先人達は、ある者は哲学を、ある者は芸術を、ある者は建物を、またある者は自然を残すために尽力を注ぎ、コレがめぐりめぐって現在に残ってる訳です。ではオイラ達は“次の世代のオイラ達”に何を残してやれるのか…、それを真剣に考え、選択し、そして未来に繋ぐのは、本当はオイラ達の“使命”ではないでしょうか?それでも文句があると言うなら、まず先人達が何を思って残したのか、本当はどうして欲しかったのかを、自分でキチンと検証するべきではないでしょうか。それすら“メンドクセェ…”とほざくなら、後続の者に対して自分に施してほしかった事を残しておくべきです。それが現世に生きるモンの務めじゃないでしょうか。