迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

大切なあなたを思い…

日蓮は少(わかき)より今生(こんじょう)のいのりなし只仏にならんとをもふ計りなり、されども殿の御事をば・ひまなく法華経・釈迦仏・日天に申すなり其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり
(業務連絡:今月の座談会拝読御書です、詳しくは今月号の“大白蓮華”参照。)
これは、建治3年(1277年)に身延にいた日蓮が草創期からの弟子(在家信徒)だった四条金吾に宛てた手紙で、通常“四条金吾殿御返事”という名称で紹介される御書のひとつで、別名を“世雄(せおう)御書”とされるヤツの一文です。これの背景には、これより3年前(文永11年:1274年)四条金吾の主君である江間氏を折伏した事から始まるトラブルで、元々金吾を妬んでいだ同僚達がコレに乗じて嫌がらせをやる様になり、江間氏自身も日蓮の“怪しい教え(苦笑)”を嫌って、それを信仰する金吾を疎んじる様になり、その果てにたまたま金吾が居合わせた法論で、極楽寺良観に与する竜象房が、日蓮の弟子三位房に負けた腹いせを、江間氏にやる様に良観が仕向けた訳である。で、その報告を受けて日蓮が送った“アンサーコール”が、この御書なんです。

江間氏は良観の讒言を真に受けて、金吾に対して“法華経を捨てるという誓約書を書かないと、所領を没収の上追放する”という命令を出したんだが、コレに対して日蓮は金吾に、“そんな事で信仰を捨てるという誓約書にサインするな”と諭した訳です。なぜなら、日本に仏教が伝来して以来、仏法を守護する側になった者は栄え、その逆に逆らった者は滅んだ事例が歴史上多々あり、そこから正法に帰依する者を迫害する権力なんぞ大したことはないと断言してるのです。
つまり、どんなに現在勢力を誇っていようと、どんなに武力が他者より勝っていようと、本当の意味で守るべきモノを持つ法華経の行者の前では敵う者はないという信念を貫く事が肝心であり、それをもって“仏法は勝負なり”という訳です。言い方を変えると、ただ単純に選挙の結果だけで浮かれている政治家や、先の戦争で勝利した余韻に未だに酔いしれてる様な大国が自分たちに不利益な要求を突きつけたとしても、それに対して真っ向から立ち向かい、相手の間違いを正す様対話を求める事が肝心なのです。
さて、本文では、日蓮が祈ってきた事は現在の繁栄ではなく、三世(過去・現在・未来)永遠の境涯である仏になる事のみと記されてますが、言い方を換えると、自分自身の事ではなく、遠い未来の“法華経の行者”…つまりは信徒達の子孫末代までの幸福を願って祈ってるのだと言いたかった訳です。現在の地位なんかよりも、多くの人々が救われる世界にしよう…その思いから法華経広宣流布するための行動に出た訳です。だからこそ、大切な弟子である四条金吾を思い激励をし、また、四条金吾も師匠である日蓮を思い行動したからこそ、双方の固い絆…“師弟不二”の精神が宿ったのです。
互いを尊重し、時に励まし合いながらも同じ境涯で世間と向き合い困難を乗り越えるから意味があり、単純に結果や経歴だけで判断するのは愚かな行為です。繁栄の影には言い尽くせない苦労があり、それを支え合ったなまか…もとい仲間がいるから偉業を成し得るのであって、協力してくれた多くの人々に感謝の気持ちすらなく、ただ自分の地位や名誉のために他人を見下してバカにする様な輩ならば、遅かれ早かれそいつは滅亡する事になるでしょう。(おい民主党よ、わかってるだろうな!!)