迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite announcer vol.32

今日は終戦記念日、太平洋戦争が終結して62年が経過しました。憲法改正論議で世論は右往左往しておりますが、この戦争で多くの犠牲者が出たのは事実であり、一時的とはいえ日本は地図上から“消滅した”国です。現在の平和は、その際に失われた多くの人々の生命と引き換えの末に手に入れたもの。それを忘れてはいけないと思い、今月はこの方にしました。元・NHKアナにして、TBSのワイドショー番組の礎となった“3時に逢いましょう”の名MCだった野村泰治アナの話です。先月、興味深い話が書かれた本を府立図書館で見つけ、ちょこっと読んでみたのですが、NHKのアナになる以前に、意外な経歴を持ってるんです。既にこの世を去って随分経ちましたが、オイラが記憶してる範疇で、振り返ってみる事にします。

大正生まれという事もあって、当時は大学へ進学するにも現在の様に私立の学校も少なかった訳ですし、相当な学識がなければ入学すらできない“狭き門”でした。しかし、戦時下において、大学生は余程の理由(旧来の相続制度なんで、長男であるとか、一人っ子だった場合等)がない限り、“学徒動員”の名の下に戦地へと駆り出され、多くの学生が遠い世界の片隅で、“お国のため”と称して、その命を散らせました。泰治アナ(ここでは今後同姓のアナも取り扱う予定なんで、あえて名前の方で表記します。)もまた然りで、彼は旧日本海軍の将校(確か少尉)として戦艦に乗船していました。そして太平洋上の海戦で乗っていた戦艦が沈没。多くの戦友が力尽きて海底へ沈む中を、延々3時間も泳いでたそうです。恐らくこの時、“なんで自分だけが残されるのか…”という思いと、“とにかく生きて、日本に帰りたい…”という思いが交錯してたと思います。
何度も言いますが、戦地へ向かった学生達の中には、生き延びたいと願いながら脱走し、その結果軍部規定により“処分”された方もいます。また、敵前でおめおめと退却したり、敵軍に投降するよりも自害する事に、戦火の美学を見出した時代です。当然ながら生き残る事は、イコール“生き恥をさらす”事だったのです。だけど、今となっては“その事”を恥じる事よりも、その後のアナウンサーとしての道を選んだ事の方が大切であって、もしもこの時に、一時の感情に流されていたら、あの“名番組”は誕生しなかった事になります。
命カラガラ逃げ切り、なんとか終戦直後の本土に帰る事ができた泰司アナは、その後学歴を活かして戦後すぐにアナウンス要員の募集をかけたNHKに入局する事になります。元々、ジャーナリストになりたかったからこそ大学に進学したのに、戦争の影響で学業がままならなかったとはいえ、チャンスを逃したくなかったのと、惨状を伝える仕事をしたいと願って、民放開局前にアナになる事を選んだのです。
流石に元・海軍将校だった事もあって、礼節や言葉遣いに対する指導は厳しく、何があっても動じない心構えは、後に多くのNHKアナ達の“お手本”となったのはいうまでもなく、特に、後輩である鈴木健二アナの立ち振る舞いに影響を及ぼしました。それが現在でも引き継がれてる部分であり、登坂アナや末田アナの“緊急時でも冷静”な姿勢は、泰治アナのスタイルを継承したと言えるでしょう。そんなスタンスが、後にTBSのアナ達へ引き継がれるのは、民放が挙ってTV放送を始めて、随分と経った1970年代の初頭になります。
実はこの頃、NHKのベテラン勢は在京キー局に招聘されて、次々とフリーアナへ転向していったのです。NET(現:テレビ朝日)へは木島則夫アナが、CXには小川宏アナが招聘され、それぞれのスタイルでワイドショーのMCになりました。そして泰治アナも同じくしてTBSに招かれ、そこで伝説の番組、“3時に逢いましょう”のMCに抜擢されるのです。オイラも幼少時代、風邪で寝込んだりした時に、退屈しのぎで祖母がテレビを付けっぱなしにしてたんで、よく見てました。いつも不思議に思ったのが、常に穏やかな優しい笑顔なのに、なぜか暗い影を秘めた印象があったのですが、参考資料を読んで納得しました。そこには、やはり“あの出来事”が心のどこかで引っかかったままだったのです。どこかで“自分が生き残った”という事実に対しての謝罪と、どっかで今の自分を見ててほしいという願いが、そこにはあったのです。
やがて、ワイドショーの視聴率争いが激化し、その影響でこの番組の出演者を刷新するために降板する事になるのですが、その際、親しいスタッフから“これからどうされるんですか?”訪ねられ、こう答えました…

“これからは戦友達のそれぞれの故郷へ行って、墓前を参ろうと思ってます…”

今は静かに、かつての戦友達とともに、高い空の上から、これからの日本の行方を案じてらっしゃるかもしれません。