迷馬の隠れ家 はてな本館

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低コストでも良い番組は作れるか?

昨日の続きと言えばなんだが、今回は真面目な話。そろそろ番組改編時であり、様々な時間帯でのプログラム更新が目立ってくる頃である。しかし、ここ近年の傾向に、ワイドショーの衰退と、報道番組の“ワイドショー”化、更には長編ドラマの減少が相次ぐ。また、アニメに関しても人気コミックが相次いで実写ドラマ化される関係で、良質な作品になかなかお目にかかれない。むしろヲタ向けの深夜枠が賑わってる反面で、本来のターゲットである幼児向けが(TXはともかく)激減してるのが気にかかる。
その主な原因は、やはり視聴率によるスポンサー収入の変動が激しいという事が大きいのだろう。しかし、本当に“良い番組”とは制作コストがかかるのだろうか?

オイラ的な結論から言うと、それは大きな“間違い”だと考える。なぜなら、未だに人気の高い“水曜どうでしょう”は、地元北海道での本放送はとっくに終了してるのにも関わらず、全国で再編集済みの“リターンズ”や“クラシック”での再放送が続いている。それはなぜかと言えば、もちろん無名時代の大泉洋鈴井貴之の“バカ騒ぎ”っぷりが面白いという事もあるが、出演者は(ディレクター2人含んで)たった4人(たまにonちゃんもいたがw)でしかもデジタルハンディビデオでの撮影という、何とも手作りで貧乏臭いトコがウケてるのである。
もちろん、ローカル番組だからこそという特色はあるが、ここに現在の疲弊したTV番組制作事情を打開するヒントはある。そう、ヘタな演出も“お約束”なハプニングも、“いかにも”というのではなく、ごく自然に演出されてナンボなのである。コレはなにも、スポーツ実況に限った話ではない。
以前、中波ラジオが息を吹き返してると書いた事があるが、よくよく考えると、ラジオのイベントは往々にして、パーソナリティーやスタッフとタメ口でしゃべったり、一緒に記念撮影をしても、あまり“お咎めを喰らう”という事がない。むしろ、サイン攻めでも気さくに対応する方が多く、プレゼントでもこちらに悪意がない以上は受け取ってくれる。つまり、ひとりでも多くのリスナーを“大切にもてなしたい”という思いが、その姿勢に出るのである。逆にTVのイベントでは、何かと制約(カメラ撮影禁止とか、サインの要求は受け付けない等)が多く、どっかで視聴者をバカにしてる傾向にある。(一部FM局でも見受けられる光景だが…)コレでは、視聴者もバカじゃないからTV番組を見限っても仕方がなく、ひいてはスポンサーも撤退するのは無理もない。
したがって、安価でも番組を作ろうと思えばできるのであって、それを“試す度胸がない”TVマンが増えた事が、今日の“金太郎飴”状態を生み出してると考える事ができるのではないだろうか。言い方を換えれば、制作費の削減に必要なのは、実は人気の高いタレントの多用をやめる事であり、その次にスタジオでの過剰な演出、更には必要以上に使い過ぎるテロップ表示やCG処理ではないだろうか。むしろ、本気で手作りしていくのなら、視聴率や画像上の華やかさは気にしない方が良いのでは?そう考えると、良質な番組を作るのに必要なのは、むしろラジオ並みの低コストで、如何にやりくりできるか、その技術であろう。