迷馬の隠れ家 はてな本館

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子育てを“放棄”した社会では、子供を守れない。

昨日、加古川で起きた小学生殺害のニュースを見ていて、ふと思ったのが、どんなに町内会や自治体で警戒にあたっていても、そのやり方に“死角”がある以上、こういう犯罪は発生するという事である。もちろん、事件直後はある程度の“犯罪抑止力”にはなるが、時間の経過はそういった“警戒心”を緩めさせてしまう危険が伴う。まして、“大人の都合”で町内警邏が遅い時間帯だったり、“まだ陽があるから…”と言って子供を一人で帰らせる様な状況では、とてもじゃないが“町内で子供を守ってる”とは言い切れない。

厳しい事を言う様だが、本気で子供達をあらゆる犯罪から遠ざけるには、常に監視するだけじゃなく、自分達が“盾”になる必要性もある。そのための“犠牲”も払えない現代社会は、やはり子育てに向いていない…否、子育てを社会そのものが“放棄”してるとしか言い様が無い。
現在の“少子・高齢化”の一因は、もちろん医療面での問題もさることながら、社会そのものが“女性の社会進出”の本意を履き違えてる感がある。女性が最前線で活躍するためには、その“代償”として出産・育児に関わる時間を“削除”しなくてはいけないのが現状である。もちろん、子育てが一段落ついた状態で社会復帰できる状態なら、そういう犠牲は出さなくて済む。しかし、現状では女性が育児に時間を割くには、今までの地位を“返上”しなくてはできないし、まして“社会復帰”となると、それまでの経験を無視され、まるで“ズル休みしたお局”扱いである。コレではいくらなんでも、結婚願望や子育て願望があっても叶うハズがなく、そこを理解できないのが“男社会”の悲しき性である。
“子育て”とは一体何か…冷静に考えると、女性が子供を産んで初めて“母”になるのと同じで、子供と“一緒”に成熟するのが社会ではなかろうか。そのための“育成期間”こそが“子育て”であり、そのために大人が学ぶべき所作があるのではなかろうか。言い方を換えれば、少子化によって社会全体が“幼稚化”してるのが現状であり、我侭を自ら律する事ができない“大人”が増え過ぎたのが、結果的に子供を“殺す”社会に成り果てたと考えられるのではないだろうか。では、どうすればそんな状況を打開できるか…その一つの考え方に、オイラは“少欲知足”があるのではと思っている。そう、あまりにも“勝ち組”とか“成果主義”にハマり過ぎて、本当に“大切なこと”を置き去りにし過ぎたツケが、結局自分達の首を絞めてる…だから、本当の意味での“ゆとり”を学ぶべきであり、そのためには、多少のサボりも目を瞑れる社会でないとダメだ。
まして、これから“裁判員制度”導入で、会社勤めのリーマンですら長時間に渡って裁判所にカンヅメ状態で仕事ができない状況が増えれば、現状の就労条件では不利益を被る者も出てくる。そういった意味でももう一度、休暇や就労規則などの見直しと、子供を守るための“犠牲”を社会は学ぶべきである。
教訓:本当に子供が大事ならば、ある程度の“仕事放棄”を見逃してもらえる社会でなければムリ。過剰な利益優先は、いずれ社会を滅亡させる“一凶”になる。