迷馬の隠れ家 はてな本館

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サルでもわかる、任用御書学講座w その8

さて、今週学習する部分はズバリ“難”について。人生なんて苦楽があってナンボであり、それをどう受け止めるかで結果が変わってきます。特に、自分が思い描いた夢を実現するためには、様々な困難と立ち向かい、“乗り越えていく”というプロセスがある訳で、この部分の一念がグラグラしてる様では、どんな些細な願い事も叶う訳がなく、また、しょうもないプロジェクトでも大成しない訳です。
学会員である以上、最大の使命は一生成仏を実現させる事と、それに伴った正法流布…つまりは広宣流布です。そのためには生涯にわたっての信心根本の姿勢を貫く事なんだが…ココの部分で必ず出てくる邪魔者、つまり“三障四魔(さんしょうしま:三つの障りと四つの魔性)”による“妨害=難”って訳です。ま、ぶっちゃけ、この“難”が出てこないと、自分自身の変革をもたらすきっかけにならないし、時代に流されるのがオチというもの。だから、その本質を知った上で“どう付き合うか”が課題となる訳である。

具体的にこの“三障四魔”というのを解説すると、前半の“三障”とは、実践の場に立ちはだかる障害で、1.煩悩(ぼんのう)障、2.業(ごう)障、3.報(ほう)障というのがあり、これらは修行を妨げる要因といえます。“煩悩障”とは要するに、“貪(どん:むざぼり)・瞋(じん:いかり)・癡(ち:おろか)”のことで、言ってみれば自分自身の我侭が影響してる部分。で、“業障”ってのは信仰に対する反逆行為(仏法では“五逆罪”とか“十悪業”とかで表される悪行)よって生ずる、自分自身の知人・友人などから直接的に妨害される部分。で、“報障”ってのが過去にそういう悪業三昧で他の仏道修行者を妨害した罪が自分に降り掛かる状態で、主に会社の上司や親など、自分が従わざる得ない存在の者から攻撃を喰らう部分です。
で、後半の“四魔”とは、要するに自分自身の生命に内包している“厄介者”であり、1.陰魔、2.煩悩魔、3.死魔、4.天子魔があって、コレらが影響して生命の輝きを奪うとされてます。で、“陰魔”とは肉体的、あるいは精神的な部分での障害であり、“煩悩魔”はさっきの“煩悩障”と同意語で、“死魔”というのはその字のごとく死ぬ事であり、“天子魔”とは別名“第六天の魔王”と言われ、あらゆる角度から仏道修行の邪魔をしてくるとされてます。ぶっちゃけた話をすると、この“天子魔”は生命の根源からの迷いであり、権力や地位を使って相手を侮辱する事でやる気を削ぎ、堕落させる働きがあるといわれてます。
ただ、注意してほしいのは、だからと言って“家族は理解してくれない”とか、煩悩はすべて消しさるべき”だと、無闇やたらに世間を邪険に扱ってはいけない訳で、そういった“人間関係”や生活の中にある“脆弱な自分”が、ひょんな事から出てきて仏道修行を妨害していると考えるべきなのです。言い方を換えると、他人のせいにして“逃げる”のは卑怯者の態度であり、様々な困難を“自分自身の壁”として認識し、それを乗り越える(あるいは突き破る)事で“人間革命”していく事が重要であり、そのための“修行”が日々の勤行・唱題であり、布教活動である訳です。