迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

本当の意味での“地域密着”とは?

ちょっとここんトコ御無沙汰な“哲学独り言”なんだが、なにぶん教学試験だの選挙だのとテンテコマイしてましたからねぇ…。
さて、今回はふと思った事のひとつを。それは、いつも何気なくオイラ達は、自分達が“住んでる場所”を“本拠地”にしてる訳だが、果たして、自分の住んでる街を、どれぐらい理解し見守っているだろうか?子供の時は漠然として、“自分の住んでる場所=自分の街”と捉えて、地場産業や郷土歴史を学ぶ機会がある訳だが、大人になって、社会であらゆるトコに行って仕事をしたり遊んでると、“自分の住んでる場所”そのものがドコなのか、いまいちピンボけることがある。特にそれを実感するのは、統一地方選での地元選挙。普段、昼間も“地元”にいるならともかく、仕事中は“別の場所”(勤務地だったり…)にいるモンだから、どんな候補が出馬して、どんなマニュフェストを掲げ、何をしたいのか具体的な情報が何も入ってこない。
まして、条例や規則の変更等、地元自治体の広報誌を読むことなんぞないから、まったくわからず終いでそのままのことが多い。(それで、どんだけムダな事を見逃してるのやら…)

つまり、実生活において、オイラ達大人は、本当の意味で生活に則した自治を行なえているのだろうか?恐らく、多くのサラリーマンならココで気付くと思うが、本当は何もわかってないどころか、完全に“蚊帳の外”である。そう、生活そのものがバラバラなのである。
だから、よく考えたらわかるんだが、よく奈良市民が“奈良府民”等とヤジられる所以は、奈良市郊外の住宅地の殆どが、大阪府…特に大阪市内の会社に通勤し、普段から奈良県奈良市の行政動向を知らないからである。(大和高田在住のきよぽんが、大阪の話はしても、地元の話はチンプンカンプンなのは、そういう生活の弊害。)当然だが、同じ大阪府内に住んでいても、大阪市堺市東大阪市吹田市じゃ規模も事情も(当然場所も)違う。つまり、生活居住が戸籍上どこであっても、普段から住んでる訳じゃなければ、結局選挙があっても極端な話、選挙権そのものがムダになってしまう。つまり、生活している“実感”が湧かないから、いくら地元でも愛着も湧かないし、為政者が悪巧みしてても文句すら言えなくなる。
要するに、現在の日本がダメになってる大きな原因”は、生活居住区と就労勤務地がバラバラで、しかも実生活にリンクしてない政治が未だにまかり通ってるからである。つまり、惰性で“官僚から政治家へ”という感覚でやってきてるからである。当然だが、共産党政権でもまた然りで、共産党員である事が最低条件で、通常と同じ事が繰り返されるだけである。
真剣に考えると、生活居住区と仕事場は、同じ場所でなければ結局、世の中に疎くなる。どんなに情報社会といえど、自分の住んでる場所の状況を肌で感じる様な状態でなければ、結局どんな知識も無意味である。そう考えると、普段からいろんな情報にアンテナを張っていないと、結局何をすれば良いか迷う事になる。まして、そこから最善策と思う事を選択し、未来に繋げる役目を担ってる以上、しっかりした信念と目標がなければダメだ。それを指し示す明確な地図すらないから“迷子”になるというなら、どうすれば良いか様々な事を学ぶべきである。それすらできない状況下では、自らが“恥”を掻く覚悟で何かを“犠牲”にする事である。それが時間なのか金銭なのか等は個々によるが、その覚悟がないなら…世間の雑踏に流されるだけである。