迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

本当の意味での“勝負”とは何か?

やまいったね、今年の有馬記念は、まさしく“ありゃま記念”な状態になったのはいうまでもないんだが、最終レースで3場とも“審議”って…こりゃ、後輩達に思い切り意地悪なクリスマスプレゼントをくれてやったわねぇ菫華の君w ま、冗談はともかく、今日の帰り、アクアルミナスを眺められる場所で、ラジオNIKKEIの“粋な計らい”を聴きながら天を仰いだ。そしてセントウル像越しの空を見つめて、その先にいるだろう菫華の君を思い涙した。そして小さな声でいつしかオイラ、「広瀬さん…」と呟いていた。(あの実況を聴いて、なおさら惜しい人を亡くしたと、年の瀬の仁川で泣いた…)
休話閑題、ふと、この秋のG1戦線を見ながら感じた事なんだが、やはり“人馬一体”とはこの事なんだなぁ…と実感させられる場面をよく見かけた。特にオイラが今でも怒りに感じてるのは、メイショウサムソンコスモバルク、そしてデルタブルースの“乗り替わり”である。本来の主戦騎手ではなく、ただ単純に“レースの勝率”とか“コース経験”とかだけで判断されてる様な気がしてならない。当然だが、確実に勝ちたいからこその変更なんだろうが、それ自体を否定することは(勝負の世界では素人同然だから)言う権利すらないのだが、経験上からして、本来の“相棒”と違う者に御される馬の気持ちを理解した上でやってるとは思えない理不尽さは、とてもじゃないが馬本来の能力を削いでる様な気がしてならない。

特にコスモバルクの件に関して、田部調教師やビッグレッドファームがユーイチや岩田騎手の“暴言”に屈する必要性など無いと思ってる。なぜなら、どんな行為を喰らったとしても、それを乗り越えて勝負に勝ってこそ一流の騎手であって、自分のお手馬を傷付けられた事による因縁を、他馬のせいにしたり、主戦騎手のヘタレ加減をグチる様では、その騎手は(たとえ国際G1タイトルホルダーであっても)三流以下である。“馬を御する”という事は、自分の命と馬の命、その双方を手綱ひとつで預かる行為であり、それは競馬であれ乗馬であれ同じである。その自覚を忘れてるから、レース中に走路妨害をやらかしたり、馬が暴れて放馬するのであるとオイラは思ってる。もちろん、五十嵐騎手にも非があったのは確かだが、それを理由に敗戦の弁を述べる輩は、プロじゃない。そしてその発言はフェアでもない、単なる自惚れである。
勝負事の鉄則は、結局結果論であり、負けた事を他人のせいにしたり、作戦通りじゃない事を嘆く様では、次の勝負も結果が出てるのと同じである。“同じ結果”にしない為に反省するから次があるのであって、敗戦から何も学べなかった輩は同じ過ちを繰り返し、最後は信頼を勝ち得る事すらできなくなる。実況もまた然り、菫華の君の“後悔”は常に、ファンと主催者との信頼関係を念頭に置いた姿勢であり、それが活かされたときの実況は、まさに“神業”ともいえる実況だった。そこに本当の“勝負師”の姿がある。相手を詰るなら、それに似合うだけの鍛錬と厳格なまでに礼節を重んじる心こそ大切である。それすらできてない様な輩が、自分の仕事を邪魔したと相手を罵るなら、同じだけの事を相手にもやっちまった事を反省するべきであり、自分自身どんな理不尽な態度を取られても屈しない精神を養うべきである。そういうことができない騎手は、今すぐ鞭を置くべきである。