迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite announcer vol.37

『これだ、これがディープインパクトだ!!』―コレ、2年前の有馬記念での実況ですね。このフレーズは、なにげに気に入ってます。と、いう訳で、今年最初の“My favorite announcer”は、去年亡くなった菫華の君を慕っていた“ラジオNIKKEIコバマサ”こと小林雅己アナの話です。今でこそギャンブルオヤジなコバマサですが、元々は“高校球児”でございまして、“いつかは甲子園へ…”という思いが変な方向(w)に転じて、トラキチになったとか。でも、大学時代はなぜか“クイズ番組荒らし”と恐れられてた頭脳派な一面も…。そんな彼の波瀾万丈物語を…っと、その前に、今年は“NEXT"枠があるときは、本編で紹介したアナとは“対抗”する関係になってます。ちなみに今回の場合も、この後“対戦相手”のネタも披露させていただきますw ついでに言うと、“対戦相手”とコバマサの共通項は、クイズと甲子園…さて、誰が出てくるのやら。

プロフィールと見ると、元々高校球児だったそうで、確か茨城県でも有数の甲子園常連校の出身だったらしい。ただ、公式戦で活躍する事が殆どなく、背番号も2桁のまま…ま、“補欠要員”扱いのままで、選手として甲子園へ行く夢が散った訳である。で、コバマサが何でトラキチかと言うと、どうやら出身高校のOBにダメ猫…もとい、阪神田宮謙次郎選手がいたそうな。(高校野球マニア&トラキチなら、一発でコバマサの出身高校がどこか、よくわかるヒントだわ…w)でも、その当時は真面目な話、後に中日やロッテで活躍した牛島投手(当時、波商のエース)の球を打ってみたいとか、掛布選手のファンだったから左バッターボックスに立ってスイングしてみたかったとか。
で、高校時代は球児だったけど、某タレントよろしくな“おバカ”キャラでなかったのがコバマサの面白いトコで、記憶力の確かさから転じて明治大学へ進学。そこでその頭脳の良さを活かしたサークルに所属する事になる。コレが“明大クイズ研究会”なるサークルで、関東の大学サークルでもクイズ番組での覇権争いは凄まじいモノで、特にコバマサが在学中の1980年代は、それこそ視聴者参加型クイズ番組の全盛期時代で、その中でもトップクラスのサークルだったのがココなのである。で、一年生の時から既にその頭角を表していて、番組の予選会の当選確率の高さもさることながら、本選での活躍ぶりも凄まじく、まさに“明大クイズ研のエース”と称されてたそうな。で、そんなクイズ三昧な日々で、時として出題される知識の中に競馬用語もあった訳で、コレが後に競馬実況アナへ進むきっかけとなる訳である。当然だが、あの“アメリカ横断ウルトラクイズ”や“アタック25”にも出場した事があり、当然だが“アップダウンクイズ”にも出場する事があったそうな。実は、この“アップダウンクイズ”で苦い経験をする事となる。てのも、あと一歩のトコで、“失敗は許されない…”というプレッシャーに圧されてしまい、他の回答者…実はそこに、MBS森本栄浩アナ(彼に関しては、後で紹介します)が出場していて、彼に負けてしまうんです。てのも、ご存知の方はわかると思うが、間違えると一気にゴンドラが最下層まで落ちるルールになっていて、それにコバマサがビビってしまったのです。ま、この当時から“勝負弱いギャンブラー”だった様でw
この時から、将来はアナウンサーになりたいと考えてたフシがあって、しきりにカメラ写りを気にする事が多かったそうな。でも、どのクイズ番組に出場しても、その見栄えの悪さが祟って、“俺、テレビ向きじゃないや…”と思う様になり、そこでラジオの方へ進路を向けていったそうな。で、結局内定を貰った先がラジオたんぱ(現:ラジオNIKKIEI)だった訳で、ここで本格的に競馬と向き合う事となる訳である。で、丁度この時は菫華の君が泉タソと替わって東京本社勤務になった頃である。だからこの時から何かに付けて、菫華の君に指導を仰ぐ機会があったらしく、特に実況中の言葉遣いに関する指導を受けたんだそうな。そして14年前、山本直也アナと入れ替わりで大阪支社へバシルーラ…もとい、転勤した時に、菫華の君と同じ神戸市内に住居を構えた。理由は簡単、常に菫華の君に付いて行きたかったからである。(もちろん、甲子園球場に通いやすいという事もあった訳だが…w)だが、コレがあの忌まわしき阪神・淡路大震災で“消息不明”の原因になるとは…。この時、実は心配して真っ先に菫華の君がコバマサのトコに飛んできたのはいうまでもなく、その事が原因で、守タソとニャオキがてんやわんやになった訳で…そういや、あれから13年が経過するんですなぁ。
そんな“災難”は、東京本社に戻ってからも続き、今から10年前の札幌2歳Sの翌日、突然左半分の顔面が動かなくなり、病院で検査したところ、原因不明の突発性顔面神経麻痺(通称ベル麻痺)を発症してる事がわかった。かなりの重症だったらしく、現在でも本当は後遺症が残ってるのだそうです。そういえば、20代の頃の写真と現在の写真では、若干向かって右側の部分の表情が、現在の方が強張った状態になってます。(でも、ちゃんと実況できるまで回復させたってのが、スゴいわw)
そんな彼にとって、ある意味“大勝負”となった出来事といえば、やはり今から5年ほど前にあった“クイズミリオネア”騒動ですね。しかも会社に内緒で一般参加で出場し、本選でセンター席まで行ったからさぁ大変w 他局への出演には双方の放送局からの“出演許可証”を貰わなきゃいけないわ、万が一の為に自宅で応援してくれるスタッフを待機させなきゃならないわ、紹介VTR作成の為に、新潟競馬場ラジオNIKKEIの放送席にCXのミリオネア取材クルーを入れなきゃならんわ…で、これまたてんやわんやの大騒ぎとなり、放送されるまでに当初の予定(8月放映予定)から4ヶ月(12月放映)待たされる事になったのである。結果は…“アップダウンクイズ”同様、プレッシャーに負けて750万円の手前で“ドロップアウト”した訳だが、その姿はまさに往年の“明大クイズ研のエース”としての姿だった。
今でこそ、一部の競馬ファンからも“ラジオNIKKEIのエース”として呼び声が高いが、去年のオークスでのきわどい展開での言い切り(ハナ差なのに“ローブデエコルテ先頭!!”と言った事)で、若干G1レースの実況から干され気味である。しかし、それは高校球児としての動体視力が未だに役立ってるからこその“正確な判断”であり、そこには迷いなどなかったのは、ファンなら誰もがわかってる事である。できれば今年こそ、日本ダービーで“コバマサシャウト”と聞いてみたいモンである。そして、その声が天国にいる菫華の君に届きますように…。