迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite announcer vol.38

さて、今月もやってまいりました、このBlog名物“My favorite announcer”シリーズ。今月の特集テーマ(←何時作ったんだ、そのカテゴリーw)は、ズバリ“メジャーはいらない、じみへんマイナー対決”ですw
で、今日取り上げるのは、元・KBS京都で、現在はOBCラジオ大阪の競馬中継“ドラマティック競馬”実況担当の濱野圭司アナの話です。現在でこそ“サンテレビボックス席”の実況でもダメ猫基地…もとい、トラキチにはお馴染みの実況アナになった訳だが、そもそもは競馬実況だけをやりたくて、KBS京都に入社したんだが…ま、いわゆる“大人の事情”を踏まえた上で、ちょっとだけ紹介しようという訳である。

そもそも生粋の泉州男児の彼が、競馬と出逢ったのは大学2年のとき。恐らく“悪い先輩w”に連れられて初めて訪れたのが、京都競馬場だったのでしょう。当時は、成人でも学生は馬券が買えなかったから、ただ見てるだけだったとは思いますが、この時に躍動感ある馬の動きに魅せられて、競馬の仕事がどれだけ“厳しい世界”かを知らずに、競馬に携わりたいと思う様になった訳である。そして、競馬関連の仕事がしたくて就活してたら、内定を受けたのがKBS京都だった訳である。
今でこそ“京都放送”という正式名称に“戻った”KBS京都だが、彼が入社した当時は“近畿放送”という名称だった。勘のイイ方ならお判りかと思うが、“われラジ”で紹介した“近畿テレビ”という名称の名残で、KTV開局後しばらくしてKBS京都がこの名称を“継承”した訳である。また、ラ・テ兼営局でありながら、大阪の放送局と違って、どこの系列にも属さない“独立局”としての地位も、この当時からあった訳である。とはいえ、テレビに関しては放送できる範囲が京都府限定(厳密には、大阪北東部の一部と滋賀県南部も放送が入るw)で、ラジオに関しても昼間はともかく、夜間はOBCラジオ大阪とネット番組がかち合う(特にLFニッポン放送からの“オールナイトニッポン”第1部)事もあって、歴史は古いが完全な“弱小ローカル放送局”である。しかし、競馬中継に関していえば、地上波テレビで午後の全レースを放映してくれる、競馬ファンには有り難い放送局であり、その支持率は絶対的なモノである。そういった事もあって、彼にとっては千載一遇のチャンスがめぐって来たのと同じだった訳である。
とはいえ、最初のうちは競馬実況の仕事よりも、ラジオパ―ソナリティーとしての仕事をいくつかこなした上で、週末は競馬場へ行くというパターンの業務内容だった。だが、次第に競馬実況での腕を上げると、今度は高校野球の(甲子園を懸けた)京都大会や高校サッカーでの京都予選(こっちは国立を目指した大会)の実況を担当する様になり、名実共にKBS京都の“エーススポアナ”に成長したのである。その様子を見ながら小崎愃アナや久保房郎アナは、将来のKBS京都の競馬中継における実況の全権を譲ろうと考えていた。が、そんな矢先に存亡に関わる“大事件”が襲う事になる。そう、バブル崩壊を招いた、あの“イトマン事件”である。
正確に言うと、その中心者がKBS京都の実質の“経営者”だった事が原因で、多額の借金がKBS京都の財政を逼迫したのである。そして、その多くの“不良債権”のカタとして、放送機材の殆どが金融機関の“差し押さえ”を喰らいかけたのである。この経営陣の“体たらく”振りに、KBS京都の労組は激怒。ついには経営陣と労働組合が、この事態の責任追及で激突してしまったのである。そうなると、競馬中継をやり続ける事が難しくなるのは必至で、まして放送局が“倒産”となると、当然ながら競馬中継を放送する事などできなくなる。そんなゴタゴタを嫌った彼は意を決して、今から14年前に後輩の寺西祐一アナと一緒に辞表を提出したのである。
さて、フリーになったのは良いが、未だ競馬の仕事…特に実況アナの仕事をやり続けたいという思いはあった。が、今更KBS京都に戻る訳にもいかないし、MBSラジオたんぱ(現:ラジオNIKKEI)に無理を言ってやらせてもらうのも図々しいし、ましてKTVはきよぽんや馬場アナが黙っちゃいない。そうなると、自分で仕事を“持ち込む”という恰好で売り込まないとマズい状況だった。しかし“捨てる神あらば…”である。丁度OBCでは、春改編の内容がなかなか決まらずにいた訳である。というのも、本社を桜橋(産經新聞社の一角に間借りしてたw)から弁天町へ引っ越した時から、今までの音楽番組中新路線からの脱却と、週末のコンテンツ強化に躍起になっていたのである。しかもMBSCRKと協定を結んで、MBSでの競馬中継の“放送縮小”を図っていた事もあって、丁度放送時間に隙ができてた訳である。そこで、従来の音楽番組路線を継承しつつも、新しいジャンルの番組制作をしようという機運が高まった訳である。そこで、彼が提案した競馬実況と音楽番組の“コラボ”として、しかも女性ファン拡大に一役買おうというコンセプトでの新しい競馬中継番組…“OBCドラマティック競馬”が誕生する事になるのです。(スタート当時は12:30からの放送でしたが、現在は朝10:00から。)
現在でこそ、多くの競馬ファンから支持されるベテランになりましたが、当時はラジオでの実況は“未経験”の領域。初期の実況を聴くと、違和感ありまくりでしたw でも、この変わり身の早さこそ彼の真骨頂であり、今ではOBCの“貴重な戦力”です。