迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite announcer vol.39

さて、今月も“My favorite announcer”シリーズの更新日がやって参りましたw 今月は“われラジ強化月間”という事もあって、ラジオを愛してるアナウンサーをピックアップしようという訳で、テーマは“やっぱラジオが好きやねん”ということで、先発はこの方にしました。QR文化放送が生んだ“世界一忙しいタレント”みのもんたこと、御法川法男アナの話です。ご存知の通り、彼は通常“みのもんた”で紹介するのが当たり前ですが、このBlogで取り扱う以上、便宜上“本名”の方で紹介していきます。ていうのも、QRの“伝統”と言いましょうか、殆どのアナがトーク番組やリクエスト番組を担当するとき、大概は通常の“本名”とは別に“マイクネーム”を付ける習慣があるようでして、当然ながらその“元祖”が平川アナである事はここで取り上げた通りである。しかし、本名をイジって“マイクネーム”にした元祖は、恐らく彼ではないでしょうか。

平川アナと同じ誕生日(でも4歳年下)で、同じ立教大卒。言ってみれば彼にとって平川アナの存在は、大学時代からの“あこがれの先輩”だった訳で、同時にそれは“理想的なラジオスター”の存在でもあった。だから彼も“セイ!ヤング”担当時には、マイクネームを使ってみたいと考えてたフシがあった。でも、平川アナと違って、そもそもの本名自身が珍しい苗字であり、同僚や親友でさえキチンとした呼び方をしなかった事もあって、ならばとそのニックネームをそのまま“マイクネーム”として転用したと考えられる(ちなみにWiKiでは、野末陳平が申年生まれってのに引っ掛けて、当時走ってた競走馬“モンタサン”とニックネームをミックスしたつけたらしいw)。ま、確かに“御法川”って姓は秋田県ではそうでもないかもしれないが、東京ではかなり目立つし、況や関西圏では滅多にお目にかかれない。だからこそ、マイクネームの方が先に一般的に知られ、本名自身は最近(と言っても、10年位前)になるまであまり知られる事がなかった。でも、“セイ!ヤング”でのトークがウケて、その勢いでそのままフリーに転向した訳なんだが…実は平川アナと違って、少々厄介なクセがあった訳である。
そう、彼は、かなりの“遊び人”であり、コレが原因で何度もQR以外の放送局でトラブルが頻発し、時には半年以上も干された時期がある。何分“夜のクラブ活動w”が盛んでありまして、時に週刊誌の紙面でバッシングなんて毎度の話で、酷い時には銀座や麻布で呑んでたトコをパパラッチされた事も…w しかし、この“夜遊び上手”がなければ、現在の様に番組放送中に中高年の女性を口説くマネなどできる訳もなく、また、フラングな言い方でも説得力あるオーラを生み出す事もできなかったであろう。しかし、当時の時代背景から考えると、かなりハチャメチャなフリーアナという感じに映ったのであろう。
そんな、“芸のためなら女房子供の泣かす”様な状態のとき、一筋の光を与えたのがCXフジテレビである。確か、江本孟紀の著書“プロ野球を10倍楽しく観る方法”の映像化の際に、そのナレーションを“実況風”にしたのが始まりと記憶している。で、コレを発展させたのが“プロ野球珍プレー好プレー”という番組であり、その実況吹き替えでのアドリブが視聴者にバカ受けした訳である。言ってみれば、このアドリブこそがラジオ時代でのバカ騒ぎで人気を博した“杵柄”であり、コレがきっかけで様々なナレーションの依頼が来る様になった訳である。
そして、時代が彼を味方する時がやってきた訳である。その先駆けがNTV日本テレビの“午後は◯◯おもいっきりテレビ”で、2代目のMCとして抜擢されたのだ。元々この番組は、シンガーソングライターの山本コータローがMCをしてたのだが、参院選立候補を期に降板となり、その跡目を彼が担当する事となった訳である。ここで、あの“夜遊び上手”な口説き文句が好評となり、しかも番組で取り上げた情報が瞬く間に主婦を中心に広まった訳である。そうなると一気に人気が急上昇し、いつの間にかテレビ画面から彼の姿を見ない日がない様な状況にまでなってきた訳である。
こんなに忙しい状況で仕事をしていても、今の彼にとってそれは苦痛でもなんでもない。なぜなら、先に説明した通り、全く仕事がなくって女房子供に苦労をかけさせた時代があるからこそであり、むしろ“ロストワーク”だった頃の収入を取り戻そうと必死になってると言っても過言ではない様な気がする。だけど、彼はこんなにテレビの仕事があっても、“ラジオはいいねぇ、好きなだけ喋れるから”と言う。それは古巣のQRタイムテーブルを見ていただければお解りいただけると思う。そう、今でも彼は週に一回、ラジオのマイクに向かって喋っている。それは、原点を忘れないための彼なりの姿勢であり、そして“ラジオスター”であり続けたい彼の“唯一の願い”だからであると、オイラは認識している。