迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

人種差別は何故なくならないのか?

こないだのネタに付随する話です。“チャイナバッシング”の裏側には、(もちろん、中国製商品の安全性が機縁してる部分が殆どですが…)どうも欧米白人の“悪癖”ともいえる“イエローモンキーアレルギー”みたいなモンを感じますね。日本人も大概それで叩かれ、しまいにゃ“エコノミックアニマル”なんて言われてましたからねぇw でも、そこには、自分たちの“慢心”が見え隠れしていて、他人を侮辱する事で、自分が抱えてる精神的なストレスを発散してる様にも考えられます。つまり、“動物愛護”の名の下に日本人の捕鯨を妨害したり、チベット問題で中国に揺さぶりを掛けている姿は、まさに子供のイジメそのものです。

では、なんでそんな事がまかり通るのか?答えはすごく簡単で、自分達の無知さ加減を他人に晒したくない…つまり、弱みを握られたくないから、あえて虚勢を張っているまでに過ぎないんです。もちろん、ダライ・ラマ14世に対して対話をしようとしない胡錦濤国家主席の態度も、結局のトコ、この“延長線”でしかないのです。
30年以上前の日中国交正常化のプロセスは、一般報道では田中角栄首相の手柄っぽく報じてますが、学会員から言わせれば、滑稽な話です。なぜなら、日本の“怪しいカルト教団w”の会長が勝手に中国に乗り込んで、勝手に周恩来と対話した事から始まってる事なのに、その恩を知らずに図々しい態度で会談をやってる訳ですからねぇw
ま、それはともかく、要するに、実際問題どれだけ相手を知ってるか、あるいは実際に逢った事があるかを問われ、それに答えられないクセに“会う必要はない”とか、“野蛮な連中と関わりたくない”と真実を視ずに拒んでるから、悪口雑言できるのです。逆に、知ってて言ってる連中は、自分の思い違いに感づいてなく、それ故に相手を侮辱してる事に気付かないだけです。言い方を変えれば、“相手は人間であって、機械や家畜ではない”という概念がすっぽ抜けているから、相手が格下だと思い込んで傲慢になるんです。
相手の本当の事を知らないからこそ、相手を知ってやる為に本人から、あるいはその周辺の者に問うて学ぶべきなんです。教える側もまた然りで、横柄な態度や上から目線で威嚇する様な格好でやってはいけないのです。そう、お互いが“対等に無知”だからこそ、互いを知り合う為に学び合う…それが本来の師弟の姿です。だから、“不軽”の業とは、面識や階級等に関係なく、誰に対しても平等に挨拶をし、語り合う場を設ける事が肝心なのです。