迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

愚かさだけが漂う“愛国心”の話。

どうも、あらぬ方向に行き過ぎてるというか、“それなんて60数年前の日本?!”って感が否めません。何の話かって?そう、チベット問題と中国での“愛国無罪”的発想のデモです。チベット問題に関していえば、どうも裏側に欧米諸国の“人権団体”の名を騙ってる集団の陰が見え隠れしてるんで、この件で詳しく糾弾するつもりはない。が、問題なのは、中国内外でのナショナリズムが、途方もなく60年以上前の日本にそっくりで、危機すら感じますね。もちろん、愛国心はどんな国のモンでも大なり小なり持っていて当然の“権利”ですが、だからといって仲裁に入った者や客観的な考え方を否定したあげく“非国民”呼ばわりするのは、真の意味での“愛国者”とは言い難い。なぜなら、憂国の思いは同じなのに、冷静な判断を必要とする問題を、あえて避ける様な態度だからだ。

日本でも太平洋戦争開戦前、多くの宗教家や思想家、哲学者は異口同音に戦争の無意味さと国際平和を唱えていた。が、その多くは当時の軍事政府下での発言は、自分の布教活動の妨げになるとして、手のひらを返す様に神札を受け教義をねじ曲げた。そう、治安維持法の名の下に、“戦争反対”という言葉は、“国家の士気を下げてしまう”として禁じてしまったのである。当然だが、それに逆らえば強制的に警察の捜査が入り、不当逮捕および拷問が待ち構えていた。(創価学会の場合、初代と二代会長がそれに屈しなかったから、現在の姿がある訳だが…w)つまり、国民の意識が一つになれば、暴走を止める事すらできずに、そのまま滅亡へまっしぐらとなりかねないのだ。
抗議する気持ちはわからなくはないが、ちょっと政府や海外メディアに踊らされ過ぎてませんか?そう、そもそもの問題は、中国政府とチベット自治区(というより、侵略時に逃げた亡命政府)のいざこざが五輪開催を機に表沙汰になった事であり、それを面白可笑しく報じてるのが欧米メディアだという事。で、その情報を聞きつけて、本件とは全く関係ない人権団体や環境団体が騒ぎに乗じてるというのが現状な訳だ。で、その旗印にチベット国旗を掲げてるモンだから、中国留学生や現地の華僑が対抗意識を燃やして、中国国旗を掲げ抗議してる。で、それを煽ってるのが中国政府だという噂があるがために、余計に昔の(しかも戦争前の)日本と同じ道を歩んじまったと感じる訳である。
“平和の祭典”を蔑ろにしてるのは、意外と自分達かもしれないという自覚がないから、第三者であるこっちは開催前からどっちらけになるのであり、それに気付いた人間を廃除するから、冷静になった途端、自分が精神的にしこたま傷付く事になる。その“結果”がどうなったかを、高いトコから日本をコケにしてきた国なら、とっくに気付かないといけないのだが…。