迷馬の隠れ家 はてな本館

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憧れの“マルーン”と気品あるイメージ

今でこそ、阪神競馬場園田競馬場へ行く時にお世話になるからそうでもないが、かつて阪急電車に乗る事…特に神戸線を利用する事は、ある種の憧れだった。京都線に関しては、幼少期にオカンの婆様が高槻に住んでた関係で、堺筋線経由でちょくちょく利用していたが、梅田から乗る事が殆どなかったから、阪急電車で神戸に行く事は、ちょっとしたオシャレも必要だった。それくらい気品あるイメージがどうしてもあって、逆に大人になって園田競馬場周辺のドロ臭い風景や今津線(南側)の半工業地域を走る姿は、想像外だった。

つまり、それだけのイメージ戦略を徹底して行ったのが、創始者である小林一三氏の手腕であり、それは今でも関西人が抱え持っている“阪急”というブランドイメージの根幹とも言える。
そもそもは、現在の宝塚線とその支線扱いになっている箕面線が一つの鉄道会社であり、それが阪急の出発点である。後に阪神電車と覇を競う様に神戸方向に線路を延ばして整備したのが現在の神戸線であり、天神橋筋6丁目から京都の河原町に路線を持っていた京阪電車(現在の“おけいはん”とは別会社)を吸収合併してそれを京都線とし、その一部を梅田まで延伸させて、北摂エリアを中心に開発を進めた。いつしか、その経営手腕は関西経済界の中心的存在となり、“われラジ”シリーズでもちょくちょく説明した放送局どうしの喧嘩の仲裁役になったり、鉄道会社なのに映画やテレビ番組等芸術の方にも尽力した。それが余計に、企業としても高級なイメージを創り上げていった。
しかし逸翁の死後、そのイメージからの脱却を図るかの様に方針転換すると、途端にイメージが悪くなったのか、次第に求心力を失っていったのはいうまでもなく、その結果様々な問題が噴出する事となる。その最たるモノこそプロ野球チームのブレーブス売却であり、経営権を持っていた遊園地すべてを閉園および売却という方向へ持っていった。(実はエキスポランドも当初は、阪急が経営権を持っていたらしいんだが、諸般の事情で現行のトコに経営移譲した。)
だが、阪急だからこそできた事がある。その最たるモノが、現在、関西私鉄の殆どが導入している“スルっとKANSAI"システムである。コレの原型は、専用のプリペイド(ストアバリュ)カードである“ラガールカード”による“ラガールスルー”システム(フェアライドシステム)である。コレが後にポストペイ方式の“PiTaPa"へ進化する訳だが、この時に“残金が10円でも残っていれば、乗車可能”という乗客の利便性に基づいたルールを設定した事から、利用客の間で普及したのである。(で、それをパクって作られたのが、パスネットや“SUICA”などの乗降システムw)
そして現在、“あの騒動”がきっかけでダメ猫の親会社…もとい、かつてのライバル阪神電車経営統合した訳である。皮肉な話だが、小林一三をバカにした阪神経営陣は、時を経てその運営手腕に(TOBという状態で)屈するカタチとなってしまった訳である。