迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

利益追求の果てにあるもの…

昨日の惨劇をニュースで知って、また、食料危機だのオイルショックだのを聞いてて、ふと思ったのだが、いわゆる“勝ち組”となってる人々は、本当に幸せなのだろうか?すべての原因を富裕層にぶつけるのは乱暴な考え方だろうが、貧困に喘いでる者にとって“金持ち”は僻の対象であると同時に自分達を虐げている存在と認識してるのではなかろうか。
ともあれ、今回オイラが言いたいのは、どんなに恵まれた環境でも毎日同じなら飽きるし、ちょっとした冒険だってしてみたいと思うのが人間の性(さが)だと思う。でも、だからといって不特定多数に危害を加えるのは、反則であると同時に、困窮を訴える手段に使う時点でOUTだという事だ。

昔見た“プリンプリン物語”っていう人形劇に、劇中何度となく繰り返し出てきた台詞(というか、歌詞?)がある。それは『お金さえあれば、何でもできる…』というヤツだ。詳しい内容は失念したが、要するに“幸福もカネで買う事ができる”という内容の行だ。でも、そのお金で、多くの人々を傷付けたという事実があって、実際には何の解決にもなっていない訳であり、その事を主人公達が諭すんだが…ま、詳しい内容とかはCSで何度も再放送してるんでそれは置いとくが、要するに、今の世の中が、この物語と全く同じ状態になってしまったという事だ。
つまり、お金…というより通貨の信用が落ちて、原油穀物といった現物の先物取引が横行し、本来あるべき市場経済とは完全にかけ離れた“マネーゲーム”になってしまっているのだ。オイラは株式とかは専門ではないんで知らないんだが、世界規模でのインフレが起きてると考えたら、大体の話に見当がつく。つまり、どんなに財産があっても、それに似合うだけの物資がなければ“貧乏”と同じであり、逆にお金がなくても貴重な資源が手元にある以上は、それ故に生活に困らない状態になっている訳だ。で、その切り崩しを市場関係車は躍起になっていて、コレが格差社会と諸々の“品薄商い”に拍車をかけている。モノもカネもない人間は、当然淘汰されてしまい、残った牌を富裕層でも特にチカラのあるトコが取り合ってる訳である。だが、それは何を意味するか…考えたくもないのだが、結局何もかもを失ってしまうのではないかと危惧して仕方がない。
医療の現場もそうである。本来医者は、何があっても患者を見殺しにする様な態度はとらない。むしろ、患者本人が延命処置を拒んでもできる限りの処置をして、最善を尽くした事を患者家族に話す。だが、今の医療は“研究第一”であって、患者の生命が軽んじられている世界になってしまっている気がする。まして、公立病院での医師不足は、ひいては地域医療の崩壊を意味する。医師達は政府の医療制度が悪いと訴えているが、根本的にそれは違うと思う。むしろ自分達の仲間内で、最新医療の開発に没頭するあまりに、基礎的な医療のあり方を疎かにしてるから、厚労省の官僚にまでバカにされる始末なのだと、オイラは言いたいのだ。本気で先端医療を極めたいなら、まずは現場で経験を積む事こそが近道であって、研究所や医局でコソコソやるのは無意味である…それこそ“保険料泥棒”といわれても仕方がないのだ。
どちらにしても、眼前の名誉や財産に目が眩んでしまう様な連中に、世界が牛耳られてしまってる以上何も解決しないし、その当事者自身も足下を見ずに欲張れば、本当に欲しかったモノを永遠に失う事になりかねない。だが、残念ながら現在の財界人にとって、自分の祖国がどうなろうが、自分トコの企業で働いている従業員がどうなろうが、そんなのは関係ない。むしろ、自分達さえ残れば良いとでも考えてるのだろう。でもそれは、結果として自分の滅亡を意味してる。