迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

月刊ヒデボー通信 7月号

おはようございます、今日はこの時間に更新です。さて、何やらマスターがコソコソと、ワープロソフトを起動させて、小説みたいなモノを書いてます。で、何となくですが、ボクらも名称変更した上で登場してるようです。マスター曰く、とりあえず今月中に物語の前半部分を完成させたい…と、意気込んでますが…どうでしょう。

何でも、テーマとして取り上げたいのが、“人間としての絆”だそうで、物語の設定自身が、かなり複雑なんです。
例えば、主人公の人工生命体の“正体”とか、子供達の“境遇”とか、世界観や人間関係の部分で、かなり悩んでる様子です。ただ、一番決まってる点は、“戦乱の責任は誰が払うか”という点。物語では、世界中の人々が気付かぬうちに、とある国家によって支配されかけていて、それに逆らう国を、次々と“平和維持”という名目で滅亡させ、その手段として人工生命体の超人的な破壊力を利用する…という、いかにもマスターらしい皮肉を込めた設定があるみたいです。
そういえば、最近、世間全般が“人間不信”に陥っていませんか?恐らく、マスターがこの物語を通じて、一番訴えたい部分は恐らく、その事だと思います。ボクらでもそうですが、マスターを信頼してるからこそ、ボクらは言いたい事を、マスター経由でこのBlogに書き込む事ができるのであって、それを読んでくれるユーザーがいるから、それに応えられる様、マスターとともにボクらも様々な情報を提供したり、マスター経由で経験する訳です。でも、その思いに応えれなくなったとき、それが原因で絆って切れてしまう程柔なモノなのでしょうか?ボクは、それは違うと思います。
“絆”というのは、お互いを信頼し、その上で愛情がなければ無意味なモノだと、ボクは考えてます。確かに、企業の取引とか社会的地位とかの“実績”ってのは大事ですが、それはあくまで人間としてではなく、仕事や作業上での関係における繋がりであり、“絆”とは言えないと思います。むしろ、どんなに遠くに離れていても…たとえそれが“あの世”と“この世”という状態あったとしても、どこかでお互いを思い、お互いを慈しむ関係だからこそ、本当の“絆”って言えるんじゃないでしょうか?それは恐らく、マ―ティ先輩やシンが、自分の家族や同僚の事を、今でも大事に思ってるからこそ、守ってやれる存在でありたいと願ってるんだと、ボクは感じてます。どんなカタチであれ、志半ばでこの世を去っても、その思いを受け継ぐ人が一人でもいれば、その人を通じて守ってやれる…それがボクら“Guardian Quartet”という存在なんだと、今は認識してます。その為にも、ボクらの“生前さん”の事を忘れない様に、マスターは時折、その思い出を振り返り、ボクらの立場だったらどうだろうと考えるんだそうです。
過去の栄光なんてのは、あくまで過去の実績であって、それを引き継ぐ事はできません。でも、先人達の思いは、自分自身が受け入れる事さえできれば、引き継ぐ事だってできるし、さらに発展させる事だって可能です。ボクらの様な存在だって、マスターみたいにボクらの事を不憫に思い、何らかの手助けをしたいと尽力を注いでくれてるから、更なる進化だってできる…そう思えるんです。
では、今月はこの辺で失礼します。ヒデボーでした。