迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite announcer “NEXT" vol.19

で、今日は昨日の“対戦相手”なんだが、特徴で合わせるか、ゲーム実況ネタで合わせるか、かなり悩んでます、正直言ってw でも、グダグダ言っても仕方ないんで、今月もまた“ABC vs MBS”の構図で進めます。
スポアナにとって“デカい声”は武器であると同時に、番組によってはからかわれる要素でもある。現に、アベロクもABC自社制作のバラエティー番組では、毎度の如く出演タレントに絡まれた訳だが、“あどラン”においてその役目を買ってたのは、恐らくこの方ではないでしょうか。城野昭アナの話です。でも、実は城野アナって、最初からMBSのアナじゃなかったんです。では、彼はいったい、何時ドコでデビューしたのでしょう?

MBSへ移籍する前は、TNCテレビ西日本でスポアナとしてデビューするんだが、当時は埼玉西武…もとい、西鉄ライオンズ平和台球場で大暴れしていた時代であり、また、経済的にも産業のエネルギー源となる炭坑がいくつもあり、福岡はいろんな意味で豊かだった時代である。が、国のエネルギーに関する方針転換や、水俣病等の公害が表面化していき、少しずつ冷え込んできたのである。そして、西鉄の球団売却が不可避な状況になった時、これからもスポアナとして活躍したいという思いから、MBSへの移籍を決めたのである。しかも、関西の放送局なら、パ・リーグではなくセ・リーグ…そう、ジャイアンツ戦(=全国ネット)での実況のチャンスもあるという訳だ。コレが、一番大きな理由と言って良いだろう。
そして、中途採用とはいえMBSの“即戦力”としてデビューする事になるんだが、テレビ単営局出身の彼にとって、ラジオの仕事は戸惑いの連続だった。というのも、映像がない分、自分の口で状況をすべて伝えなければいけなかった訳で、移籍するまでの数年間の実績は、ラジオのマイク前では、すべて無に帰した訳である。だが、そういったハンデをすぐに理解してくれるのが関西のファンであり、力強い声は、いつしかMBSのラジオでも欠かす事のできない存在へと変化していったのである。
さて、普段スタジオにいる時はどうだったかと言いますと…中継の資料作成中でも、通勤時でも、とにかく時間さえあれば実況と発声の練習を行っていて、しっかりと腹筋を使った声だった為に、時としてその声は、千里丘時代でもスタジオの端から端まで聞こえてた程だったとか。(ちなみに、“あどラン本”3冊目では、そのエピソードに関するギャグが掲載されてますw)その為、時々だがマイクがそのデカ声に耐えきれず、接話マイクの殆どが使い物にならなくなった事もあるとかw だから、影では“音声泣かせのアナウンサー”としてからかわれる事もしばしば。(ま、そんなだから節分の時の“一発芸”ができるんだが…w)
現在でも、GAORAでのファイターズ戦中継で、水谷勝海アナと一緒に現役で実況してるが、流石にちょっと歳なのか、ここんトコ精彩に欠ける実況が多い。やはりこの人にはドーム球場よりも、夜空を照らす程眩しいカクテル光線に映える、天然芝のボールパークの方が気合いが入るのかもしれない。