迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

悲しきマスコミの性

ちょっと、コレを読んでもらいたい。毎度おなじみのCRKスタッフのBlogなのだが、マスコミ人であるこの方ですら、現代社会の中での戸惑いを隠しきれないでいるようである。そう、昨今の若者は新聞やテレビ等の既存メディアを廃除し、必要な分の情報をネットだけで取得してるのである。もちろん、こういう選択肢が間違いだとは言い切れないが、かなり危険な状況である事には間違いない。そもそも、ネット上の情報とて、その殆どが既存メディアからソースを持ってきてる訳であり、オイラみたいな発信者でも、その情報の殆どが駅のポスターやパンフレット、フリーペーパー等から得た情報と、Web上の情報をミックスしてやってる訳である。が、確かに、巷に流れてる情報は膨大すぎて、なおかつムダが多い。だからこそ、自分に興味のない、あるいは関係無いと思われる情報を、最初から遮断しておく習性が、若者の感覚として身に付いてしまったのだろう。

だが、それは何を意味するか…そう、既に若者の殆どが“人間不信”に陥ってるという事を意味してると考えるべきなのである。当人等は、あるいは周囲は感じてないだろうけど、情報を制限するという事は、それだけ分のコミュニケーションも断ち切ってるのと同じである。故に知らず識らずのうちに“孤立”してしまうのであり、その反動から厄介な行動を起こす…と、考えていいだろう。つまり、どんなにWebで友人が増えたとしても、その肌の温もりや触感を持ち合わせていないから、冗談のつもりで差別用語を使い、凶器を持って襲いかかるのである。
ある未成年が駅で、通り魔的に他人を電車が進入し始めたホームから突き落として殺す事をしてるのも、その動機に“刑務所に行きたいから…”と答えるのも、その裏にある“精神的な孤独”からの脱却を図りたいから、もっといえば、世の中が自分の想い通りにならない事に対する恨みから、凶行に及んでまでも“話し相手”を求めてると考えれば、おおよその辻褄が合う。つまり、仮想の“親友”よりもリアルな“他人”に話し相手を求めるための“手段”にしてしまってるのだ。
そして、その背景に特定の宗教や民族性が絡むと、何も情報がない人間は、こういった“歪められた真実”を鵜呑みにしてしまい、その偏見から新たな差別をやらかすのである。そして、その情報源が今まで既存マスコミだったモンだから、若者は挙って"マスコミ不審”になってしまってる訳である。そう、情報を遮断し過ぎて“真実”から遠ざかった分だけ、誤解や偏見が生じて、ますます“人間不信”に陥るのである。コレを解消するには、とにかく様々な経験を積ませる事が重要であり、その為に言葉だけじゃないコミュニケーションのあり方を模索しなくてはいけないと、肝に銘じるべきなのである。が、悲しいかな、マスコミ…否、情報というのは、いろんな“制約”があって、それをクリアする為には、金銭授受を含めた“等価交換”の原理が待ち構えている。つまり、新聞の広告もテレビやラジオのCMも、そこに掲載させる為の料金が支払われて初めて成り立つのであって、無償で得られる様なモンではない。言い換えれば、広告掲載を予定してる企業からスポンサー料を取ってるから、一部130円前後で新聞が読めるのであり、ラジオやテレビも“原則”無料で視聴する事ができるのである。だから、売上げを上げようとすれば、同然ながらユーザーの喰い付きが良いネタを作らざる得ない…この背景がある以上、差別は無くならないだけじゃなく、誤解や偏見を解くまでに時間が掛かってしまうのである。