迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

日本で共産主義がダメだった理由…

まぁ、最近共産主義を迎合する若者が増えている様だが、共産主義の“歴史”を知らずしてマンセー言ってる様じゃ、後々苦労するってことを教えねばならん。とはいえ、現状の“民主主義”そのものが崩壊しているからこそ、共産主義の“謳い文句”が輝いて見える訳だが、なんで、20年前までは存在していたコレが、いつの間にか破綻したのか、近頃の若者は習ってないらしい。ま、教育現場の連中が“共産主義こそガチ”みたいな教育してるから、こうなってる部分もあるんだが、何度もこのBlogでこの話題をやってるんで内容がループしまくるが、要するに“無関心de他力本願”な民族では、共産思想は長続きしない。なぜなら、共産主義とは、社会全体が助け合いながら、国民が共通の認識で産業発展を目指す思想に基づいた考えであり、その為なら個人の趣味までも奪う、ある種のファシズムだからだ。

つまり、プロレタリア文学も、その発端はルネサンス時代において、キリスト教カトリック(ローマ教会派)とプロテスタント(ルターやカルバンが提唱する聖書主義)に分割された頃の思想がベースであり、そのひとつに“社会共産主義”という概念が生まれた訳である。そこまでだったら未だ良いんだが、問題はその思想を実現する為に、半ば強引な解釈と、戦時中の日本人が誰しも体験した“欲しがりません、勝つまでは…”な忍耐を、多くの関係者に強いたがために、一部の過激派が自分達の主張に異を唱える者を抹殺する方向へと向かっちまった訳である。コレが日本でいうトコの“あさま山荘事件”だったり、日本赤軍関連の事件に繋がる訳である。で、現在でも革マル派の様な輩が闇で蠢く機縁となってるのが、現在の社会情勢と言ってよいのだ。
別の角度から切り出せば、要するに理想が高過ぎる上に宗教不信からくる“対話拒否”が、更に本来の目指す社会形態を歪めてしまってるのが欠点で、その為に宗教嫌いのフェミニストが、レーニンの“宗教は麻薬だ”という言葉を鵜呑みした訳である。(実際は“腐敗した”という言葉が先に付くんだが…)つまり、既存の宗教に対する不満が、結果として心を閉ざし、“人間らしく生きる為の思想”よりも“国民をダマして管理しやすい社会”を容認してしまったのである。コレが結果として執行部そのものを堕落させ、社会不安を抱いた庶民を黙らせ、腐敗させた訳である。
確かに、宗教も人間がやってる以上、どっかで教主の教えが歪められ、人間として生きる為の道筋を外れた教義が“正当”とされてしまう事があるが、それはどんな主義主張でも同じ。布教活動をまともにやろうとせずに、寺院に籠る坊主どもの“言い訳”が、権威や地位でまかり通るから宗教がダメになるのと同じで、共産主義だって民主主義だって、結局は主導権を握ってる為政者の“人間性”が問われるのであり、事ある毎に“政権交代”ばっか唱えて具体案を示さない…いわゆる“福袋政策w”しかできない某野党に嫌気さした若者が、共産主義をおちょくってる訳であるw それに気付かない委員長は、よっぽどの“おバカ”だと、オイラは思うのだが…。