迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

迷走を脱却する“カギ”とは…

マスコミに踊らされ過ぎて、自分自身がしたいこと、見失っていませんか?年金問題にしろ、社会保険制度の問題にしろ、根本的なことが、何一つ論議されていない時点で“おかしい”と気付かなければ、何やっても無駄です。そう、“立正安国論”の一節『万祈を修ぜんより、この一凶を禁ぜんには』という言葉のウラには、どんなアイディアや秘策があったとしても、まずは自分自身を改めなければ意味がないという意味合いがある。つまり、根本的な“人間革命”が必要だということだ。

つまり、“自分が変わる”ということ以外、問題をクリアする事などできないという訳だ。自分自身のココロに変革をもたらす為には、まず自分の何をどう変わりたいかを思い描くことが必要であり、その為の努力を惜しまないことが肝心。たとえ叶わぬ“夢”だとわかっていても、それに挑み続ける姿勢こそが重要であって、その結果に自分が満足するかどうかで答えは変わる。つまり、行き詰まってオロオロするか、行けるトコまで行って玉砕するかは“自分次第”なのである。
兵庫県の井戸知事がボケナス発言(阪神大震災の“被災者”なのに、関東大震災云々と言っちゃった事)をしたらしいが、だからと言ってコレを“不適切”とは思わない。なぜなら、こういう発言を被災者自身がやるという事は、それだけ分の“責任”を負ってやるという覚悟の表れだと受け止めるべきであって、コレだけで他府県の知事が攻めてる様では、東京…否、首都圏への“一極集中”を食い止める事などできない。むしろ、こういった“喧嘩上等!!”な発言をやれる被災者でなければ、いつまで経っても神戸をはじめ被災地は復興しなかっただろうし、そういう威勢の良さを失ったから関西の経済が完全に失墜したと、オイラは感じている。むしろ、こういう“おバカ発言”こそ笑ってやらないと、自分が同じ状況下に立たされた時にどうすれば良いか路頭に迷うのがオチである。つまり、真面目な論議ばかりで被災者をいつまでも“可哀想”という概念で捉えていたら、とんでもない勘違いで自分自身が恥をかく事になる。そう、相手はいつまでも“被災者”のままじゃない…そこを踏まえていないから、ヘンテコリンなバッシングをやって、後で大恥をかく事になる。もちろん、世話になった他府県に対して暴言吐いてる以上は、あの時と同じ状況になった時に助けてもらえなくなる可能性が出たのは確かだがw
相手を“所詮はこうだ!!”と決めつけていれば、深く考えなくて済むからラクだが、それは結局、相手をナメている態度であって、理解していないのと同じだ。傷付け合うのは、自分が抱えてる“痛み”を相手に知って欲しいからであり、傷付く事を恐れていれば、必然的に“痛み”がわからなくなる。現代社会の“歪み”の原因は、社会そのものが“痛み”を避けてきた事だと、オイラは感じている。そろそろ気付かないと、自分が“致命傷”を負ってると気付かずに自滅するかもしれない。