迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite announcer“NEXT” vol.21

さて、泉タソの“相手”だが、同じ“アイドル追っかけ隊w”といえど、仕事と趣味では訳が違う。泉タソはかつて、キャンディーズ相本久美子のファンクラブに所属していた程だが、今回紹介するアナの場合、その“アイドル”は0系新幹線だったのではないでしょうか?TBSが生んだ“問題児”松宮一彦アナの話です。既にご存知の方も多いが、彼は1999年の9月に(しかも菫華の君の“命日”とニヤピン)、心労が祟って自らの命を絶ってしまった。でもそれは、彼自身の“自由でいたい”という思いと、その延長線にある“我侭”が招いた結末です。誰が悪いだとか、業界が追いつめたとか、そういう汚い話は、ここではしたくありません。(ヒデボーの“生前さん”の件もありますし…)という訳で、ここでは“課された仕事”と“プロ級の趣味”は両立できるモンなのかを検証していきましょう。

その昔、米軍の横田基地横須賀基地に駐屯する外国人向けのFM局から流れる洋楽が好きで、それがきっかけでラジオのDJに憧れ、コレが後にTBSアナになるきっかけとなる訳です。だからこそ、ラジオの仕事に関しては、早く自分のラジオ番組をやってみたくて、様々な仕事をこなしていくのですが、その殆どがテレビの仕事で、なかなか思い通りにならなくてイライラしてた様です。でも、その中にはJRの前身である国鉄を利用したロケ仕事があり、それでちょくちょくムリをしてた様です。てのも、実はかなりの鉄ヲタ(路線乗り潰しヲタ)で、本音を言えば首都圏の私鉄や国鉄以外の路線でのロケを楽しみにしていても、時間の都合でボツになることもしばしば。でも、そのロケ回りが後々、あの伝説の番組“ザ・ベストテン”での“追っかけマン”役が回ってきたのです。
もうひとつの野望は、“スキー専門の番組”をやってみたいというモノ。コレが、後々大問題を抱える出来事の始まりだったりします。学生時代に目覚めたスキーヤーとしての才能は、局アナとスキープレイヤーとの“二足草鞋”生活を余儀なくされた。事実、当時彼はスキーのバッヂテスト1級という腕前は、冬場は雪に閉ざされる北国に住んでるアナでもなかなかいなかった。だから、週末のガーラ湯沢野沢温泉は、まさに“庭”である。そして、趣味と実益を兼ねた番組が、やっと誕生する。それが“サーフ&スノー”である。が、この番組を巡って、晩期を濁してしまうのである。それが“引き金”となって彼の人生が狂ってしまう訳で…
さて、ついでといってはなんだが、“サ・ベストテン”の話をしておこう。この番組の公式“追っかけマン”は、原則として松宮アナだけなんだが、地域や中継数によっては地元の系列局のアナが担当する事もあった。(近畿だと当然だがMBSが担当で、青木アナや増田アナがやってた事がある。)その為、首都圏だけでなく、遠くは新潟や静岡辺りまで中継に出る事もしばしば。しかもコンサート会場だけじゃなく、ヒドい時には住宅街のド真ん中で(しかも音源テープが伸びきって原曲でなくなってるw)中継なんてのもあったw
自殺をする1年前、彼は親しい芸能人にも関係者にも黙って、TBSを退社しフリーの道を選んだ。そして、自分の番組を関東の某FM局に“引っ越し”させて放送を再開させた。が、コレがTBSの逆鱗に触れ、更には私生活での諸問題が暴露され…後はご存知の通りです。結果的に、自由を求め過ぎて、自分を苦しめたのはいうまでもないが、それを許さなかった事が、天才的なDJを“抹殺”したという“既成事実”を作ってしまった。そしてそれは、TBSから“自由”という言葉が消えた瞬間でもある…と、オイラは感じている。