迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite announcer“NEXT” vol.22

昨日が糸居アナで、かなりタイトなネタだっただけに、今日は軽めに仕上げましょうw 流石に“大御所”の相手としては、かなりの“小物”になりますが、出てきてもらいましょう。TBSの“お遊び上手w”久米宏アナの話です。こんな表現をするのは、フリーになる以前からTBS内部でも“取扱注意”なアナとして存在していて、現在の安住アナ以上に毒付いた話ができる、貴重な“斬れ者アナ”だったんです。

デビュー当初は、ま、どこの放送局でも同じなんだが、いわゆる“体当たり系”のレポートをラジオでやる事が多かった訳で、スタジオトークは深夜の“パックインミュージック”で鍛えたのであろう。しかし、話術の才能とは恐ろしいモンで、その存在はラジオからテレビにシフトして以降、急成長する事となる。その最たるモンが“ぴったしカンカン”や“ザ・ベストテン”でのやりとりである。
特に“ザ・ベストテン”では、相手が相手だけに、漫才でいうトコの“ツッコミ”をさりげなくやれる様、みっちり仕込まれたようである。これが後に、フリーになってからの“辛口アンカー”に豹変する事となる訳である。が、全国ネットの人気番組でチヤホヤされると、他のアナ達からは妬まれ、それ故にTBSでは居心地が悪かった。それ故に彼は、TBSで人気絶頂期を見計らって、TBSから飛び出したのである。
トークの面白さとテレビ映えするスタイルが、フリーになって以降も人気の秘訣となり、最初はバラエティー系番組をやっていたんだが、そのノリで、他の分野を開拓したいという想いもあった。それに答えたのが、当時からジリ貧だったテレ朝なのである。そして報道番組がいわゆる“ワイドショー形式”へシフトするきっかけとなったのが、あの“ニュースステーション”という訳である。つまり、既存のスポット形式から、オールジャンルを取り扱うバラエティー形式へ報道番組をシフトさせた先駆けを、この番組で提示したのである。後にこのスタイルは、すべての放送局が挙ってマネる様になり、11時台の“ニュース戦争”が勃発したのはいうまでもない。(そのひとつが、“ニュース23”な訳なんだが…)
しかし、その人気故に、大きな悩みがあった。そう、長期休暇を貰っても、心の底から休めた日など無かったのだ。だから彼は休暇を貰うと、番組が放送されていない地域(つまり、番組の放送網から外れてるトコ)へ隠れ込み、なるだけ人目を避けていた。それだけ、本当は毎日のプレッシャーと、一人で戦っていた訳である。そして、その“心の闇”は、番組に途方もないダメージを与える事態を発生させるのである。そもそも、ひとつの場所でじっとしていられない性格と、本来は恥ずかしがり屋故に、毎日同じ場所で同じ事を繰り返す事を嫌うのを我慢してたのに、その“限界”が出たのである。そう、あの突発的な“一時降板”である。彼にとって、それは“新しい旅立ち”を予告する行為である。とりあえず、なんとかスタッフの懇願で復帰するが、気持ちは既にテレビから離れ始めていた。そして、あの最終回での“ビール一気飲み”に繋がる訳です。
“もう一度、ラジオの仕事がしたい…”その想いをカタチにしたのは、古巣のTBSラジオだった。てのも、TBSもあの当時と違って、楽天のと経営権に関する諸問題で疲弊し、リスナーがTBSから離れていく現実を止める術など、現場にはなかった。だから、かつての“アナウンスター”に、なんとかリスナーを呼び戻すきっかけを…そう思ったからこその答えが今、ポッドキャスト配信という方法を導入するきっかけとなった。