迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

マーティの世間徒然…その4

こんばんは、今日で5日目です。昨日に引き続いて、ボクが感じた最近の事についての話、今日は社会思想についてです。昨日の話の続きになるかもしれませんが、昨今の報道のあり方は、視聴者に対してある種の思想操作をやってる様に感じます。日本はこれでも一応、民主主義国家ですから、様々な思想や哲学があって、その意見がぶつかり合っても、話し合いのテーブルに着いて討論を行うのがスジです。が、最近の討論は、相手の意見を無視するところから始まり、ある意味“言った者勝ち”な風潮が増えています。特にテレビ討論会と称する類では、折角意見を述べようとした論者に対して、まるで発言権など無いと言わんがばかりに捲し立てる評論家“モドキ”が多過ぎて、テレビを見てて不愉快になる事が多いです。(いつもマスターは、そういう場面に出くわすと、チャンネルを変えてしまいます。)

それと最近、社会共産主義を唱える方が増えた様に感じます。確かに、雇用形態が変わり、サラリーマンの平均収入が激減してるのはわかりますが、だからと言ってそれを会社のせいや政治のせいにし過ぎてはいないでしょうか?ボクが学生だった頃も、不景気の煽りでなかなか企業からの内定が貰えず、就職浪人になる学生が多かったですし、中には就職活動よりも学生運動に勢を出してデモやハンストをやってた者もいました。が、冷静に考えれば、そんな世の中にしたのは若い頃に選挙にも参加せずに、果たすべき義務を放棄した上で文句ばかり言ってる自分達のせいであり、それを叱るどころか煽って混乱を招いたのは、いい加減な態度で世間を罵った思想家のせいだったのは、何時でも時代が教えてくれてます。(ボクの親友も、学生運動の活動家として警察に追われていた事もありましたね…そんな彼も今は、姫路の方で寺の住職をしてるそうですがw)
マスターが言うには、共産主義の一番ダメな部分は、将来性がまったくないという事だそうで、ここでいう“将来性”とは、子供達に対する未来への希望を意味しています。つまり、現状さえ良ければ…という概念がある以上、後に続く子孫には絶望だけが残されるばかりで、“明るい未来”とは言い難いのです。消費税にしろ、社会保険制度にしろ、今の時点で見直して、問題点をクリアしていかなければ、夏休みの宿題と同じで、後々がしんどくなるだけです。事実、国民年金に関する事でも、毎年、支給される金額が減少している背景には、(報道では職員のムダ使いが目立ってますが…)少子化によって被保険者の数そのものが減っている事と、雇用形態が変わった事により収入が安定せず、掛け金を払いたくても生活が苦しい為に払えないという現実があります。そこを論ぜずに、制度改革だのなんだのと言っていたのでは、討論そのものが無駄になってしまいます。
つまり、制度そのものを見直す機会は何度でもあったハズなのに、それらを今まで放置した結果が現在の状況を招いたのであって、その責任を若者に擦り付け過ぎているから、間違った思想が世間一般の“常識”となってしまうのです。本当なら、ボクはこんな世の中にした責任を、“大人代表”として子供達の前で謝罪したいのです。が、ボク自身は15年前に自分の肉体を失ってますから、それすらできない。だから、その代弁者としてマスターがいる訳であり、そのマスターの知恵とパソコンをお借りして、こうやって話をしてるのです。
今日はここまでにします。では、また明日。